閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

2016-06-02 08:43:52 | 閃き
連日のように北海道で置き去りにされた子供の捜索に関して報道されているが、早く発見されることを祈っている


百獣の王ライオンは千尋の谷に我が子を突き落とし、無事戻ってきた者だけを仲間に加えるというエピソードは有名であるが、実はこんなもんは嘘八百のたとえ話

弱肉強食というジャングルの世界では強くなければ生きて行けないので、親の覚悟として子に対して甘やかすことが無く育てる必要がある事を説いた逸話だ

動物の世界だって可愛い我が子をあえてその様な過酷な状況へ追いやることなどは決してしない事など、誰もが知っていることである

今更北海道の、親について説くことは無いが、世間では躾のあり方について話題に登っている


躾=叱る、というイメージがあり、どうしてもこの様な事件が起こると叱り方の話題になってしまうが、実はそうでは無いと考えている

着物を縫う時にしつけ糸というものを利用するのだが、例題としては判りやすい

予め着物の形にする為に仮縫いを行うのだが、その後本縫いするまで形を維持する為のものだ

縫う幅も大きく後で糸が抜けるように緩く縫ってある程度なのだが、形を整え本縫いのサポートの為には重要な役割を担っている


個人的には親の躾は、しつけ糸が理想だと思っている

子供の形を作りやすいサポートをしてやり、必要がなくなれば何時でも簡単に抜く事も出来る

しつけ糸の立場から考えた時、叱るということはどういう事なのであろうか?

叱る理由は整えた形を崩さないように保つ事であるので、形を崩さない程度で良いのである

従って叱りすぎも甘やかす事も無いのである


形が決まりさえすれば、しつけ糸などは必要が無いので、どんどん自由に縫って行ける

これは子の裁量である

縫い物など無縁の自分であるが、こういった感覚で子に接してきた

今は珍しくなったが、たまにしつけ糸を抜くのを忘れて着物を着ているのを発見して、慌てて抜いて恥をかいたなんて事があった

親のしつけ糸もいつまでもそのままある事は恥であると自覚せねばならないのだ