カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

終わりの感覚

2014-11-09 09:16:27 | 本と雑誌
 もちろん私的偏見が言わせる事ではあるのだが、時々おやっと思わされる本に出合うことがある。
 たまたま図書館で手にして、ページ数が180ちょっとで負担感が少ないお手軽感が選ばせた。
 パラパラっと、書き出しの部分を覗く。

 ・・・・いくつかの事を思い出す。順不同に、
 ーーーぬめぬめと光手首の内側。
 ーーー濡れた流しに笑い声と共に放り込まれる熱いフライパンと、立ち上がる湯気。
 ーーーくるくると回りながら排水口に近づき、ついに吸い込まれて、家の高さを一気に流れ下る精液の塊。
 ーーー不合理にも勢いよく逆流する川と、その波とうねりを追いかける懐中電灯の光五、六本。・・・・

 と、いった調子の書き出して始まっているわけだから、謎解きの風情もあって興味が沸いた。
 
 「終わりの感覚」ジュリアン・バーンズ著(土屋政雄訳)2012年12月新潮社刊
 リタイアした60代半ばの主人公が青春時代を思い出してゆく。
 初めての恋人や自殺した友人のことなどなど・・・。
 そして現在にいたる思い出の物語が終わろうとするが、本はページ的に半分ほどしか進んでいない。
 そして第2章に至って、見知らぬ弁護士から手紙が届く、日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。
 記憶の底からかつての恋人の母親だったことが思い出された。
 日記は高校時代の友人でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンのもの。
 優美で知的な文章と衝撃的なエンディング。
 
 若い頃を意識的に思い出すとき、人は様々な出来事に一応の決着をつけていると思っている。
 後悔するような出来事であったとしても、その時の自分はそうした対応しか出来なかったのだと・・・。
 そして結果責任は時間に取って貰うしかないのだと・・・。
 日本人の観念的思想に照らせば尚のことだ。
 人生は流れる水の如くで、諸行無常なのだと・・・。
 どちらがどうとうは言えないが、哲学や宗教観の相異も思い知らされる。

 と、まあ偉そうにのたまったところで一句。
 「季は花に憂いは本に訊いてみる」
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コメント
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