平成30年の師走もあと一日を残すだけとなった。
正月の準備のうちで、供え餅や注連飾り、その他諸々の飾り物などをするに当たって適当な日があるのだという。
いわく、29日は苦飾りと言って駄目、いわく31日は一夜飾りと言って駄目、などなど・・。
じあや早めに済ませてしまおうかと言うと、早過ぎると正月が来る前に傷んでしまうと悲観的な話。
すると答えは自ずと見えてくる。
28日か30日しかないのである。
28日は相方と私のスケジュールが合わず、必然的に今日になってしまった。
注連飾り、鏡餅、仏壇の供花などなど・・。
その中で割と重要なのがお屠蘇。
当地では透明な清酒が一般的になる以前の、江戸時代に出来た酒で「赤酒」というかなり甘い酒があって、屠蘇に使われたりする。
屠蘇を入れると丁度良い具合になるかと思い、5年くらい前に子供達に飲ませたら極端に不評で、以来普通の清酒にしている。
(清酒「香露」と「れいざん」)
どちらも地元の酒である。
共通しているのはどちらも阿蘇の伏流水を使っていることと、どちらも以前は2級酒と書かれていたこと。
今はただ、純米酒とある。
さて、どちらを御神酒とするか考えたが今年は「れいざん」に決定した。
で、神棚に供えた後、残りを飲み比べてみることにした。
どちらもお勧めの飲み方は、「冷酒」か「ぬるめの燗」がよろしいとある。
「香露」は熱燗はやめてくれ、とある。
「れいざん」はややキリッとした感じで、「香露」は円やかな感じがした。
気分によって飲み分けるというのが正解なのだろう。
この「香露」は熊本醸造研究所で作っていて、ここで造られる「熊本酵母」が全国各地の銘酒の酵母として使用されている。
昔から「香露は一升瓶入の2級酒が一番」と噂されていて、いまだに一升瓶入の一番安いのを探し回っている。
安酒で盛り上がれるのがこの手の人間の幸せなところである。
お墓参りも、大晦日では拙かろうと田舎の墓にお参りに出かけた。
誰かが掃除をしてくれたとみえて、墓の周りは綺麗になっていた。
地震で墓が全壊したあと、骨を全部自宅に持ち帰り、墓の再建までの一年間ばかり仏壇の前に安置していたが、その間に一度、それから出来上がった墓に骨を納る法事の当日に一度、都合二度に亘って亡くなった祖父母の夢を見ている。
二度目の時は、運転できない筈の祖父の運転で祖父母が車でやってきて、私達夫婦の前を車で墓に向かって先導することになった。
死んだ人は夢の中では喋らないと聞いたことがあるが、夢の中の祖父はやたらと喋っていて「追突などしないように、車間距離を十分取って注意しながらついてこい」などと言っていた。
お互いが、お互いの車に夫婦で乗り込んで出発というところで目が覚めた。
あれ以来、祖父母も誰も夢には現れなくなってしまった。
墓から持ち帰った骨と、ずっと同居してしたわけだから私の意識の何処かに気にする部分があったのだろう。
このブログには、一年前にUPした記事を紹介してくれるサービスがあるが、その中で夢の出来事を二度書いているので、物忘れの激しい私でも、つい覚えてしまっていて、今回のような墓参りなどという時は、つい思いだしてしまうのである。
確か「終わりの街の終わり」とかいう小説があったが、死んだ人はまだ生きている人の思い出の中に居る間は、最終的な死者の魂の行くべき場所の手前の街で、静かに暮らすのだというストーリーだった。
その街で、突然ある人が居なくなるのは、その人の思い出を持っていた人が亡くなった時だという話だ。
あるとき、その街全体の人が消えて無くなる自体が発生して、思い出を持った人々が一斉に同時に死んだ何か大きな出来事が起こった事を暗示して物語は終わるというものだった。
あの小説の印象や、自宅に持ち帰った沢山の墓の骨など非日常的な出来事が、夢の中で結実したのだろう。
暮れも押し迫った30日、正月飾りと墓参りも終わり、帰りに買って来た酒を飲み比べながら、ふと物思うのが故人の事であるのも悪くはないだろう。
ただ、ちょっと酒のまわりが早過ぎるような気もする。
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正月の準備のうちで、供え餅や注連飾り、その他諸々の飾り物などをするに当たって適当な日があるのだという。
いわく、29日は苦飾りと言って駄目、いわく31日は一夜飾りと言って駄目、などなど・・。
じあや早めに済ませてしまおうかと言うと、早過ぎると正月が来る前に傷んでしまうと悲観的な話。
すると答えは自ずと見えてくる。
28日か30日しかないのである。
28日は相方と私のスケジュールが合わず、必然的に今日になってしまった。
注連飾り、鏡餅、仏壇の供花などなど・・。
その中で割と重要なのがお屠蘇。
当地では透明な清酒が一般的になる以前の、江戸時代に出来た酒で「赤酒」というかなり甘い酒があって、屠蘇に使われたりする。
屠蘇を入れると丁度良い具合になるかと思い、5年くらい前に子供達に飲ませたら極端に不評で、以来普通の清酒にしている。
(清酒「香露」と「れいざん」)
どちらも地元の酒である。
共通しているのはどちらも阿蘇の伏流水を使っていることと、どちらも以前は2級酒と書かれていたこと。
今はただ、純米酒とある。
さて、どちらを御神酒とするか考えたが今年は「れいざん」に決定した。
で、神棚に供えた後、残りを飲み比べてみることにした。
どちらもお勧めの飲み方は、「冷酒」か「ぬるめの燗」がよろしいとある。
「香露」は熱燗はやめてくれ、とある。
「れいざん」はややキリッとした感じで、「香露」は円やかな感じがした。
気分によって飲み分けるというのが正解なのだろう。
この「香露」は熊本醸造研究所で作っていて、ここで造られる「熊本酵母」が全国各地の銘酒の酵母として使用されている。
昔から「香露は一升瓶入の2級酒が一番」と噂されていて、いまだに一升瓶入の一番安いのを探し回っている。
安酒で盛り上がれるのがこの手の人間の幸せなところである。
お墓参りも、大晦日では拙かろうと田舎の墓にお参りに出かけた。
誰かが掃除をしてくれたとみえて、墓の周りは綺麗になっていた。
地震で墓が全壊したあと、骨を全部自宅に持ち帰り、墓の再建までの一年間ばかり仏壇の前に安置していたが、その間に一度、それから出来上がった墓に骨を納る法事の当日に一度、都合二度に亘って亡くなった祖父母の夢を見ている。
二度目の時は、運転できない筈の祖父の運転で祖父母が車でやってきて、私達夫婦の前を車で墓に向かって先導することになった。
死んだ人は夢の中では喋らないと聞いたことがあるが、夢の中の祖父はやたらと喋っていて「追突などしないように、車間距離を十分取って注意しながらついてこい」などと言っていた。
お互いが、お互いの車に夫婦で乗り込んで出発というところで目が覚めた。
あれ以来、祖父母も誰も夢には現れなくなってしまった。
墓から持ち帰った骨と、ずっと同居してしたわけだから私の意識の何処かに気にする部分があったのだろう。
このブログには、一年前にUPした記事を紹介してくれるサービスがあるが、その中で夢の出来事を二度書いているので、物忘れの激しい私でも、つい覚えてしまっていて、今回のような墓参りなどという時は、つい思いだしてしまうのである。
確か「終わりの街の終わり」とかいう小説があったが、死んだ人はまだ生きている人の思い出の中に居る間は、最終的な死者の魂の行くべき場所の手前の街で、静かに暮らすのだというストーリーだった。
その街で、突然ある人が居なくなるのは、その人の思い出を持っていた人が亡くなった時だという話だ。
あるとき、その街全体の人が消えて無くなる自体が発生して、思い出を持った人々が一斉に同時に死んだ何か大きな出来事が起こった事を暗示して物語は終わるというものだった。
あの小説の印象や、自宅に持ち帰った沢山の墓の骨など非日常的な出来事が、夢の中で結実したのだろう。
暮れも押し迫った30日、正月飾りと墓参りも終わり、帰りに買って来た酒を飲み比べながら、ふと物思うのが故人の事であるのも悪くはないだろう。
ただ、ちょっと酒のまわりが早過ぎるような気もする。
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