カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

芋の子を洗う

2014-11-19 09:18:03 | 日記
 晩秋というより初冬と言うのが正しいのだろうが、庭にはまだ夏の終わりの頃から咲いていた黄色の花が咲いている。
 バラは切り詰めれば何度でも新芽を出してその都度咲くので季節は問えない。
 
 多分去年の今頃だったと思うが、菜園の里芋を掘った後親芋の方をそのまま畑の隅に埋め戻しておいたらどんどん大きくなってしまった。親芋は大きくなって直径20センチくらいになった。
 通常種芋は子芋を植えるらしいのだが、ぐうたら放置農法では種芋を選ばぬ無責任さが売りなのだ。
 なかば収穫は諦めて親芋を掘り起こしてみた。
 
 なんと子芋が大小様々に沢山収穫できてしまって、嬉しい悲鳴があがってしまった。
 芋の煮付けが一回分くらい獲れればいいや等と言っていたが、こりゃ毎日芋の煮付けばかりになりそうな量だ。
 洗った後新聞紙の植えに広げて少し乾燥させた方が保存がきくらしい。

 芋と言えば以前、山形県にお住まいの人とHPでリンクを張っていたこともあったのだがその時の「芋煮会」の写真は圧巻だった。たしか河原で、もの凄い大鍋にクレーンかなにかで材料を仕込んでいたような記憶がある。
 きっとこの季節は、暖かい芋煮の鍋を囲んで話も弾むことだろう。

 配偶者はおでんの種を仕入れに行った。
 多分二人で何日も食べることになる大量のおでんが出来る筈だ。

 「秋風に乾くまで待つ濡れ落ち葉」

 のんびりいきまっしょい・・・。

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短編は一枚の写真

2014-11-18 08:57:54 | 本と雑誌
 長編は時間と根気の問題でちょっと遠慮したいときがある。
 せいぜい200ページ以内がいい、・・・などというときが。
 
 で、87ページしかない、「鑑定士と顔のない依頼人」ジュゼッペ・トルナトーレ著 柱本元彦訳 2013年11月人文書院刊
 イタリアの映画監督トルナトーレの作品。原作として書かれた物でも、映画の後で書籍化されたものでもないらしい。
 ただし、映画を作ることを目的として書かれているので実に30章にわたるカット割りのイメージが強い。
 一つの章が平均2ページちょっとで、人物や部屋の特徴や調度品の説明が具体的で映像として浮かんでくるようだ。
 場面展開がスピーディーなので退屈する暇はない。ただし映画のテキスト的な要素が強く、一般的な小説の読後感とはちょっと趣を異にする。
 
 これも141ページに13編の短編が収められている。1編は5~10ページである。
 「対岸」フリオ・コルタサル著 寺尾隆吉訳 2014年2月水声社刊
 1937~1945年にかけて書き連ねられた、短編13を収録したもの。収録作品もさることながら、巻末の付録として収められた「短編小説の諸相」がいい。
 1963年にキューバで講演されたものの内容だが、東西冷戦の時代革命の旗手カストロの地元という場所で行われた講演の内容には、革命の中にあって文学というものの有るべき姿が気迫を込めて語られている。

 長編は映画、短編は一枚の写真という説明の仕方が分かり易い。

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大切なものから使う

2014-11-17 09:53:22 | 日常あれこれ
 先日スクラップの処分について考えたが、切り抜きは止めても当分遺したままにしたいものを選定した。
 現に生活している地域に密着したものに限定した分類がなされているものである。
 
 山野草に関する本やネット上で沢山紹介されているが、種類が限られていたり名前や時期が不明だと検索できなかったりするが、これはほぼ自分が住んでいる地域の草花に特化しているので馴染みやすい。
 
 この仏像も、現に県下の各寺院や祠などにひっそり佇んでいるものが紹介されているので、機会があれば現物を拝むのも容易だし、たんなる仏像の一覧ではない。

 こうしてスクラップそのものを、スクラップした目的に適合させようとすると自分にとって無駄なものも随分あるものだと気づかされる。 
 最近、配偶者が言った言葉が妙に納得出来る。
 「いま持っているもので、一番のお気に入りとか、一張羅とか、取っておきたい大事な物から使った方がいいよ」
 彼女も年齢や体型の変化で着られなくなった衣服への思いが言わせた言葉だとは思うが・・・・。
 確かに本質をついている。

 そう言うことで、一句・・「生き方を変えた証のゴミの山」・・・おそまつ。

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益城ルネサンス熊本FC、チャレンジリーグ入れ替え戦へ

2014-11-16 17:57:50 | 日記
 朝からちょっと浮き浮きした気分で八代県営運動公園陸上競技場へしゅっぱ~つ!
 チャレンジリーグ入れ替え戦、益城ルネサンス熊本FCと静岡の清水第八プレアデスが13:00からキックオフ。
 弁当持参で高速を南下・・・勇み足で早く着いてしまって、ついでに早弁。
 寒いので車の中で・・・・。
 そこに馬を乗せた車がやってきて、皆さん芝生の上で弁当を食べ始めた。
 お祭りで、どこかの町内なのですかな。
 
 後ろから写そうとしたら、いきなりウンコを始められてしばし呆然
 
 前に回って顔を写してやろうとしたら、何だかスッキリしたという風情で平和な顔をしておりました
 
 試合前にはMICAさんのミニライブも・・・。
 
 両チーム整列して・・・
 
 さあやるぞ!ってんで円陣を・・・
 
 応援席もいつもより多めで・・・。
 
 試合はほぼ全時間帯にわたって、益城ルネサンスがゲームを支配していたと私は思っているのですが・・
 
 そういうわけで、4:0で快勝
 
 応援席の前に整列した選手の皆さん
 
 さて、来週はアウエー(静岡)、ちょっと静岡までは行けそうにないし・・・。
 待ちに待ったチャンスなので誠意一杯頑張って悔いの残らない試合をしてほしい。
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お茶屋さんの感謝祭に行った

2014-11-15 16:49:38 | おでかけ
 10年以上前になるが、ネット通販でお茶を買っている店がある。
 生産者数名で会社を立ち上げて生産から製茶・販売まで、いわばお茶の第6次産業化というわけだ。
 そのうちに、感謝祭の招待状がやってきた。
 一度見ておくのもいいかなと、福岡県八女市にある「美緑園」まで出かけることにした。
 ささやかに農家の一角で行われるのかと思いきや、一大イベントとなっていて町の人達も大勢やって来ていて、とても賑わっていた。
 お茶とは直接関係ないような近所の農家や、加工品の販売所なども参加していてちょっとした収穫祭風である。
 
 抹茶入りの餅つき
 
 若い人が元気にペッタンペッタンと昔ながらの杵と臼で餅をついていた
 
 お茶を飲んだり、団子汁のご飯を頂いたりして帰途についた。
 (ちなみに、写真の人達はまったく通りがかりの人で無関係なので念のため)
 
 今日はロアッソ熊本と岡山のアウエー戦が行われNHKで放送予定は分かっていたので、録画セットしておいた。
 さて・・・いまから一杯やりながら、サッカー観戦とまいりましょうかね。
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到来、年賀ハガキ申込みシーズン

2014-11-14 09:57:54 | 日記
 郵便物を出しに行ったら、年賀ハガキの申し込み用紙をくれた。
 
 年々数は少なくなっていると聞くが、それでも毎年沢山の年賀ハガキが行ったり来たりしている。
 今年は減らすぞ、等と決心してもつい出すことを止めた先方から来たりすると慌てて年明けて出したりして、またまた元の木阿弥になってしまう。
 年賀状の断り方で面白いというか、やるなと思った例が2つある。
 その1は、「最近視力が著しく悪化し、新聞を読むのも難儀する程になりました。よって暫く活字などを遠ざけた生活を送ります。年賀状も本年をもちまして失礼させて頂きます。なお、目以外に関しましてはそれほど悪いところもありませんので、今後ともよろしくご厚誼の程をお願い申し上げます」・・・といった趣旨の年賀状を最後に途絶えた。
 ちなみに、当人とはその後何度となく会ったし飲んだりもしている。
 その2は、「癌を始めとして体調が悪く、とても賀状の交換など出来る状態ではない」といったもので、体調不良が断りの王道のようだが、中途半端な体調不良だと面倒なことになったりするので、もうこれは極端な重篤なものが良いようだ。
 年賀ハガキの申し込みの時期には前後して「喪中につき・・・」のハガキが五月雨式にやってくる。
 どっとやってこないで、今年は少ないな等と油断させておいて後で集中的にやってくる。
 こちらが出した後に数枚が毎年やってくるのは例年のことである。
 「喪中なので挨拶を失礼します」と相手が言っているのであって、こちらが出しても一向に構わないらしいのだが、喪に服しているところに、賑やかに新年おめでとうはないだろうとおもんぱかって遠慮する。

 我が家では義父の喪中の挨拶を出した翌年の年賀状が少ないことに気がついた。
 また時には数年に亘って不幸が続く人もいて、2回も続くと名簿データの×印の解除を忘れて出さないこともある。
 私的には、この「喪中を活用した第3の方法」を追求してみるのも一案ではないかと思っている。

 私の方はもう逝ってしまう対象者が皆無なので、配偶者の家族に協力を仰ぐことになろうか。

 古い同級生、仕事関係の現役・同期・先輩・OB組織、地域活動の組織、幾つかの趣味の人々、等々・・・。
 去年に比してマイナス50枚を目標に設定して200枚を申し込んだが・・・果たして・・?

 悩ましきは年賀状の断捨離なのである。

 今年の新年早々新聞に掲載された複雑な心境の私の川柳を思い出す。

 「年賀状どうやら仕分けられ始め」

 自分のみならず、相手も同じ悩みを抱えていることでしょうな。
 相手の仕分けに期待するというのも、消極的選択として・・・有りですかな。

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同じ時期の写真

2014-11-13 10:25:20 | 日記
 紅葉の写真を見ていて、ふと去年は?一昨年は?などとさかのぼっていて、CD等に収録するまでPCに一時保存しているものを4年前まで見ていたら、以外と同じ週やときには同じ日に出かけていることが判って面白かった。
 
 今年2014年11月13日のクヌギの紅葉(熊本)
 
 去年2013年11月13日すこし紅葉しはじめた京都(嵐山)
 
 一昨年2012年11月第三週の九州山地(高塚山登山の帰路に寄った梅の木轟の吊り橋)
 
 2011年11月13日二俣橋と紅葉(美里町)
 
 2010年11月鞠智城公園の紅葉(山鹿市)
 当然紅葉の時期は例年同じ時期なので日程的に重なることは判かりきったことなのだが、こうも毎年紅葉を求めて出かけていたのかと我ながら感心した。
 写真に写っている服装をみると場所によって、防寒対策を意識したものもあってその時の様子が思い出される。
 
 それでは一句。
 「人生を標準時計に操られ」
 せめて
 「霜月や霜降り食べて生きている」
 くらいのことは言ってみたいもの・・・。

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スクラップをスクラップにするぞ

2014-11-12 10:40:46 | 日常あれこれ
 旅行などで数日留守にするときには、新聞販売店に連絡して配達を停めてもらうことにしている。
 新聞受けが満杯になったり、雨などで濡れたり他の郵便物等が入らなくなったりするのを防止するためである。
 ただ、記事によってはスクラップで保管していると言うと、親切に帰宅するまでの新聞を保管してくれ、帰宅日にまとめて配達してある。
 スクラップの話をしたら、これまたスクラップブックを2冊サービスしてくれた。
 
 私は政治・経済・社会・文芸・自然など自分流に分類して新聞の切り抜きを貼り付けてきた。
 
 (大版のスクラップブック)
 
 (他の目的で作られた冊子などを利用してコラムなどを貼り付けたもの)
 ところがここにきて、断捨離なる思想が我が家に充満し始めた。
 最近は、新たな疑問も湧いてきた。
 後になって何らかの参考にするためのスクラップが、利用される場面が果たして有るや無しやということだ。
 毎日の新聞情報、インターネットやテレビに溢れる情報、これらを見聞するだけで大変なのに、切り抜いて貼り付ける作業の繁雑さはいったい何だ・・・と。
 検索も容易でないスクラップは本当にスクラップにすべきではないかと思うに至った。
 おまけに政治などに関して昔のものを見てみると殆ど今と同じような問題で騒ぎ、解決しないまま先送りして更に問題を大きくして騒いでいるという按配で、スクラップにする価値はないことが判明した。
 そこで「一面のコラム」と「季節の句」だけを継続し他はやめた。
 ただ県下に存在する「山野草」と「仏像」の連載切り抜きだけはそのまま保存することにした。
 これでスクラップの保管量は、ほぼ5分の1~6分の1くらいになってスッキリした。

 目的と手段を取り違えてしまう弊害に陥っていたのだ。
 やがて活用することを目的にスクラップしていたのにその行為そのものが主役になっていた。
 
 サッカーを見ていて、常日頃感じることだが、目標はゴールを奪うことなのに優雅なパス回しばかり追求しているうちに、ゴールの前でシュートチャンスを放棄してパスを繋いでしまう日本サッカー・・・。
 あれと同じだな・・・笑えないな。

 じゃ反省の一句を。
 「スクラップ活用もせずスクラップ」
 ついでにもう一丁。
 「処分してスッキリしたぞスクラップ」
 おそまつさま・・・。

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頑張れ!チアリーダーチーム

2014-11-11 08:49:05 | スポーツ
 ロアッソの試合直前のイベントでしばしばチアリーダーが出てきて演技をする。
 プロ野球の応援の一環として、あるいは学校のスポーツの場面でも登場する。
 「チアガールとかチアマンとかいうのは和製英語で、チアガール・チアボーイという単語はあるが、スポーツ競技の応援に携わるという意味では英語圏では用いられていない」とウィキペディアでは解説している。
 米国映画のスポーツの応援の場面で、ミニスカートの若い女性がチームを組んで踊る姿を観て真似たのが始まりらしい。
 これがチアリーダーが行うスポーツ競技として、チアリーディングが生まれそこから派生して各種のチアダンスが誕生したとある。
 なんとなく私のような古い人間には、スポーツ応援の添え物のような扱いをされていて可哀相な気分にされていたものだ。
 しかし単独で競技が行われ、ダンスも各種のものが取り入れられ、年齢層も小さな子供からシニアまで幅広く行われるようになると、イメージがだんだんと変わってきた。
 
 (小さな子供から大人まで混成の、チアリーダーチームの試合前の演技)
 例えば日本古来の和太鼓がチームとして彼方こちらに誕生しているが、伝統に加えて新しい演奏技術を引っさげて各地のイベントに登場して盛り上げている。
 イベントを盛り上げる働きと同時に、大勢の人の前で行う発表の場でもあるのだ。
 刺身のツマで終ってしまわない工夫や取り組みが必要な、どうにでも変わりうる発展途上の分野のような気がする。


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ロアッソ今季ホーム最終戦

2014-11-10 12:34:09 | おでかけ
 前節の山形戦が、私の実質的ホーム最終戦だ等と張り切ってスタジアムに行ったものの、負けてしまって悔し紛れに後半頑張ったからいいや的にほろ苦いビールを飲んだのは先週の話だった。
 相当に前から計画されていたイベントに参加の予定だったのだが、一昨日からの雨が降り続きイベントは急きょ中止との連絡を受けた。
 「そりゃあ残念」などと言いながら受話器の口元はついニヤリ。
 本当のロアッソホーム最終戦は14:00から水前寺競技場で愛媛を迎えて行われる。
 キャプテンを務めていた22番MF吉井孝輔選手とその前のキャプテンの11番MF藤本主税選手が今季限りで引退することになり、そのセレモニーも試合終了後に予定されていた。
 
 会場には藤本選手と吉井選手を紹介する特設ブースも設けられていた。
 
 ホーム最終戦とあってサポーター席もメイン・バックスタンドともほぼ満席の状態。
 
 前半早い時期に1点先取してニヤリとしたが、終了間際に1点返されてショック!後半は円陣を組んで気合いを!!
 
 結果はアンデルソン選手が2点を入れ、途中出場の藤本選手吉井選手のファイト溢れるプレーにも助けられて、3:1で勝利を収め、スタジアムが一斉に「カモン・ロッソ!」の勝利のダンス。
 
 ホーム最終戦のセレモニーと引き続き引退セレモニー
 
 家族から花束を贈られる吉井孝輔選手
 
 同じく子供さんから花束を受け取って感極まる藤本主税選手
 
 最後はサポーター席の前に全員が並んでの記念撮影。

 てなわけで、本当に結構ずくめのホーム最終戦だった。
 あと2試合残っているが、今季の成長ぶりは素人の私の目にも明らかだったので来季は期待出来る。

 ではロアッソの赤に期待を込めて一句いってみよう。
 「唐辛子燃える思いを秘めた赤」
 頑張れロアッソ熊本!!!
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