ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

ライバル 清原と松井 (1) 過去の日記から

2006-05-04 23:53:05 | Weblog
1986年、清原和博が19歳の四番打者としてチームを日本一に導いた時、松井秀喜はまだランドセルを背負っていた。10年後、その2人が巨人の四番、いや日本の四番をめぐって争うことになる。

監督である長嶋茂雄がまず四番に指名したのは清原だった。しかし、結果は散々だった。かつての天才打者の輝きは失せていた。

転機は1999年のオフだった。この年、ケガもありプロ入り以来最低の成績に終わった清原が賭けに出る。寺での修行、嫌っていたウエイトトレーニングをはじめ、食事制限を含めた徹底的な肉体改造に取り組んだ。

しかし長嶋は清原に試練を与える。四番にはタイトルも取り、大打者の風格が漂い始めた松井、そしてファーストは外国人のマルチネスと清原を争わせることを決断する。

こうして運命の2000年のシーズンは幕を開けた。(敬称略)


     11月10日  新風舎 クリエーターズワールドより
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過去の日記  サラリーマンがプロ棋士に

2006-05-04 20:12:12 | Weblog
将棋のアマチュアの強豪、瀬川晶司さんがプロ編入試験に見事、合格しました。5局指して3勝2敗。プレッシャーの中、プロ棋士相手にこの成績は立派だと思います。

プロ棋士育成機関である奨励会で14歳から26歳で退会するまで、青春のすべてを将棋にささげてきたのだと思います。そして夢かなわず、大学に進学後、会社員になったわけです。それでも将棋は続け、アマの世界でトップに立ち、プロ相手にも驚異的な成績を残し、今回の試験にたどり着きました。

他の棋士にはない瀬川さんの経験。ひとつは一般的な社会生活を送ったこと。もうひとつは将棋を一度は憎んだこと。他の棋士も負けて嫌になることはあっても、憎んだことはないでしょう。そんな瀬川さんが今後、厳しいプロの世界でどんな戦いぶりを見せるのか興味は尽きません。がんばれオールドルーキー。

     11月7日 新風舎 クリエーターズワールドより
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最近、瀬川さんの話題、聞かないなあ。
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