ぽつんと取り残された一軒家で、久保田正弘は待ち続けていた。3年前に突然、姿を消した娘の帰りを。妻に先立たれ、大学に通う娘の美希と二人暮らしだった。帰りが遅くなる日には必ず連絡をよこした。
午後10時、11時、12時。帰ってこないのはともかく、連絡がないのが気がかりだった。最初のうちは正弘も、美希だって二十歳を過ぎた大人。遊びたい盛りだ。メールだって面倒な時もあると言い聞かせていたが、次第に良からぬ想像ばかりが浮かぶようになった。メールを送っても返してこない。電話もつながらない。正弘は自宅から出た。美希が帰ってくるであろう道をたどっていく。いつの間にか最寄り駅まで来ていた。時計に目をやると午前1時を大きく回っていた。
正弘は自宅で眠れない夜を過ごした。警察に連絡しようとも何度も考えた。しかし、小学生や中学生ではない。美希は大学生だ。一晩帰らないぐらいで警察というのも気が引けた。勤務先の市役所に欠勤の連絡をし、警察に電話したのは、結局、昼前になっていた。
失踪者の数は年間約8万人。その膨大な数を考えれば、治安のいい日本で凶悪犯罪に巻き込まれた可能性はそれほど高くはないはずだ。警察も全力を尽くしているだろう。正弘は美希の仲のいいと思われる友人と連絡を取り、彼女が姿を消した日の行動を調べた。どうやらこの日、美希は大学を午前中で早退している。「少し体調が悪い」と話していたが、それほど深刻ではなさそうだったことも、複数の友人からの証言を得た。正弘は少しだけ安堵した。深夜に友人と別れた帰り道、何者かに襲われたのではないかという不安は解消されたのだ。何か父親である自身に不満があったのかと胸に手を当ててみる。思い当たる事はないのだが、遅れてきた反抗期かもしれない。
正弘の妻、貴子は美希が中学生の時に病死した。まだ40代だった。勿論、正弘の落胆は大きかったが、それと同時に一人娘の美希が心配だった。結婚してからなかなか子供ができず、諦めかけていた時にようやく授かったのが美希だった。故に客観的にみれば、正弘も貴子も一人娘を溺愛していたのかもしれない。貴子が病死した時、美希は涙を流していた。しばらくは落ち込んでいるように見えたが、少しずつ以前の彼女に戻っていき、掃除や洗濯、それに多少の料理。死んだ母親の代わりをこなそうとしていた。
午後10時、11時、12時。帰ってこないのはともかく、連絡がないのが気がかりだった。最初のうちは正弘も、美希だって二十歳を過ぎた大人。遊びたい盛りだ。メールだって面倒な時もあると言い聞かせていたが、次第に良からぬ想像ばかりが浮かぶようになった。メールを送っても返してこない。電話もつながらない。正弘は自宅から出た。美希が帰ってくるであろう道をたどっていく。いつの間にか最寄り駅まで来ていた。時計に目をやると午前1時を大きく回っていた。
正弘は自宅で眠れない夜を過ごした。警察に連絡しようとも何度も考えた。しかし、小学生や中学生ではない。美希は大学生だ。一晩帰らないぐらいで警察というのも気が引けた。勤務先の市役所に欠勤の連絡をし、警察に電話したのは、結局、昼前になっていた。
失踪者の数は年間約8万人。その膨大な数を考えれば、治安のいい日本で凶悪犯罪に巻き込まれた可能性はそれほど高くはないはずだ。警察も全力を尽くしているだろう。正弘は美希の仲のいいと思われる友人と連絡を取り、彼女が姿を消した日の行動を調べた。どうやらこの日、美希は大学を午前中で早退している。「少し体調が悪い」と話していたが、それほど深刻ではなさそうだったことも、複数の友人からの証言を得た。正弘は少しだけ安堵した。深夜に友人と別れた帰り道、何者かに襲われたのではないかという不安は解消されたのだ。何か父親である自身に不満があったのかと胸に手を当ててみる。思い当たる事はないのだが、遅れてきた反抗期かもしれない。
正弘の妻、貴子は美希が中学生の時に病死した。まだ40代だった。勿論、正弘の落胆は大きかったが、それと同時に一人娘の美希が心配だった。結婚してからなかなか子供ができず、諦めかけていた時にようやく授かったのが美希だった。故に客観的にみれば、正弘も貴子も一人娘を溺愛していたのかもしれない。貴子が病死した時、美希は涙を流していた。しばらくは落ち込んでいるように見えたが、少しずつ以前の彼女に戻っていき、掃除や洗濯、それに多少の料理。死んだ母親の代わりをこなそうとしていた。