白雲去来

蜷川正大の日々是口実

嬉しい絵葉書が届いた。

2009-10-03 18:50:22 | インポート

十月二日(金)雨のち曇り。

 午後一番で、某弁護士事務所に行き、会社の資金繰りのことを相談。金の事など全く頭に無いので、経理関係はチンプンカンプンである。愚妻が仕事に出ているので、一人で行ったのが失敗の元だった。

 横浜に戻ってからは、事務所にて、機関誌の印刷。夜の十一時過ぎまでかかってようやく終了。明日は、製本と発送作業に精を出せば、月曜日には発送ができる。一安心である。

 イタリアに新婚旅行に行っていた後輩ご夫妻から絵葉書が届いた。きれいなローマの夕焼けが印刷してある絵葉書である。失礼ながら、つまらないおみやげを貰うよりも、こういった気配りが嬉しい。絵葉書を送ることで、自分たちが見ている異国の風景を、他人にも楽しませることが出来るからだ。また、最近は、手紙や葉書をかくということをする人が少なくなった。旅先で絵葉書を書くということも旅の楽しみである、という心の余裕を持って旅をしたいものだ。野村先生からも、旅先から良く絵葉書を頂いた。今では、私の大切な宝物となっている。

 夕食を食べずにいたので、セブンイレブンでおでんを少々買って食べたが、コンビニの割にはマアマアだった。日本赤軍の岐阜刑務所にいる、泉水博氏からも手紙が届いていた。

Photo ローマか懐かしいナァー!

コメント (2)
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名刺供養

2009-10-03 11:11:19 | インポート

十月一日(木)曇り。

 いやはや早いもので、もう十月である。私は、この十月という月には特別の思い入れがある。もちろん野村先生のご命日もあるが、地久説もそうだ。また、先輩で、あの夏の参議院選挙、「風の会」に立候補した、松本効三先生のご命日が十四日。私の道の兄であり、元楯の会の会員であった阿部勉さんの命日が十一日。野村先生の師匠である三上卓先生は二十五日。十日が、友人であった三浦和義さんの命日、と、十月は親しくさせて頂いた方が随分と亡くなっている。

 以前も書かせて頂いたが、先輩の花房東洋氏から教わったことだが、「名刺供養」というものを行なっている。難しいことではなく、野村先生の名刺を一番上にして、亡くなった方の名刺を重ねて、お仏壇において手を合わせるだけだ。しかし、名刺のケースに入りきれなくなってしまい、二箱にもなってしまった。合掌。

 「実話時報」の原稿を、朝の四時までかかって、ようやく脱稿。ヘロヘロになった。


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のんびりしていました。

2009-10-03 10:53:18 | インポート

九月三十日(水)曇り。

 朝食後は、一日机に向かっていた。四時から、下の子供を連れて歯医者へ。終了後は、事務所により、郵便物のチェック。

 夜は、出掛けずに、家飲み。つまみは冷蔵庫をひっくり返して、あり合せの物で間に合わせた。酔う前に、古い機関誌の整理。スキャナーで表紙を取り込んだり、内容を打ち込んだり、趣味と実益を兼ねた作業を十一時過ぎまで。

 昨日、門田隆将氏から頂いた、氏の著書、「康子十九歳戦禍の日記」(文藝春秋・千五百円)読む。


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中華街へ。

2009-10-03 10:45:17 | インポート

九月二十九日(火)曇り。

 月刊「実話時報」に、連載させて頂いていてる、「回想は逆光にありー追想、野村秋介」の第四回の締め切りが迫っているので、朝から机に向かう。今回は、平成五年の八月に先生のお供をして行った、モロッコへの旅について書いている。この連載は、書いていて楽しい。読んだ人から、「感傷的すぎて、もう少し野村先生の思想について書いたらどうか」とアドバイスをされたが、私は、思想的なことは、野村先生が遺した「さらば群青」などの著書で自身が語られているので、門下生の私が語るべきものではないと思っている。

 その連載は、当初、「感傷的回顧録」にしようと思ったくらいで、私自身の心の中にある、先生との「旅」について書く、という構想があり、充分、それで先生の人柄や生き様が理解して頂けるものと思っている。是非共、ご批評を賜りたい。

 夜は、六時に、某出版社のT氏とノンフィクション作家の作家の門田隆将氏と中華街で待ち合わせ。門田氏が、戦後、台湾の軍隊を指導するために、旧軍人が極秘裏に台湾に渡り、中共軍と戦った、「白団」に関するドキュメントを書くという。その取材に関して、誰か照会して欲しい、ということからお付き合いが始まった。台湾での取材は大変だったらしいが、出来上がりが楽しみである。

 まず、男同士ということもあって、香港路にある「安記」にて、定番の小皿料理に紹興酒。二本空けてから、これも定番の、サリーズバーに転戦。十一時前に、中破・飲にて解散。


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