十月二十一日(水)晴れ。
ここの所秋晴れの日が続いており気持ちがいい。信じられないかもしれないが、私は、掃除、洗濯、料理の腕はプロ級である、と自負している。天気の良い日などは、もうジットしていられずに、掃除、洗濯を張り切ってやる。家人にもハッパをかけるので、迷惑がられているが、お天道様はタダである。こんなありがたい恩恵を見過ごしてはいられない。
今日は、私の年齢で、左右に関わらず政治運動に関わってきた人達には、ある意味、忘れられない日であろう。すなわち「国際反戦デー」である。左翼の過激派による新宿騒乱を目の当たりにした三島由紀夫先生は、この国際反戦デーに、楯の会の決起を考えたのではなかったか。
また、民族派にとっても今日は意義深い日である。昭和十八年の今日、雨の神宮において出陣学徒壮行会が行なわれた。私の生まれる前の出来事ではあるが、戦時中のニュース映像の中で、雨の中を「抜刀隊」の行進曲の流れる中を「花も蕾みの若桜が、五尺の命ひっさげて」学生服姿で行進するその映像を見ると、必ず涙がこぼれてくる。この人達の尊い犠牲があるからこそ、今日の日本の繁栄と平和があるのだから、と。
国際反戦デーとは、「1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。1968年には、新左翼による新宿騒乱を起こすまでになった。やがて左翼運動の退潮により、一般人からは忘れられた記念日となった観があるが、反戦運動にとっては今もなお、重要な記念日となっており、この日に合わせて各種集会が開かれている。」
とフリー百科にあるが、私の記憶では、アメリカが始めて北ベトナムの爆撃を行った日を記念して総評が反戦統一ストを呼びかけたと、思っていたが、記憶違いか。
この日、北朝鮮問題で、大手ゼネコンに対して、発砲事件を起こした、大行社の木川智君の戦線復帰の激励会が、午後一時より、靖国会館にて行われた。午前十一時より、昇殿参拝。一時の開会には、会場に溢れんばかりの人達が、木川君の復帰をお祝いした。
四時前に帰宅。事務所に寄ってから、家人と合流して、久し振りに家族で「清水苑」にて食事。「黒霧島」の四合瓶を半分ほど飲んで寝た。