白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今日は、意義深い日である。

2009-10-22 16:14:06 | インポート

十月二十一日(水)晴れ。

 ここの所秋晴れの日が続いており気持ちがいい。信じられないかもしれないが、私は、掃除、洗濯、料理の腕はプロ級である、と自負している。天気の良い日などは、もうジットしていられずに、掃除、洗濯を張り切ってやる。家人にもハッパをかけるので、迷惑がられているが、お天道様はタダである。こんなありがたい恩恵を見過ごしてはいられない。

 今日は、私の年齢で、左右に関わらず政治運動に関わってきた人達には、ある意味、忘れられない日であろう。すなわち「国際反戦デー」である。左翼の過激派による新宿騒乱を目の当たりにした三島由紀夫先生は、この国際反戦デーに、楯の会の決起を考えたのではなかったか。

 また、民族派にとっても今日は意義深い日である。昭和十八年の今日、雨の神宮において出陣学徒壮行会が行なわれた。私の生まれる前の出来事ではあるが、戦時中のニュース映像の中で、雨の中を「抜刀隊」の行進曲の流れる中を「花も蕾みの若桜が、五尺の命ひっさげて」学生服姿で行進するその映像を見ると、必ず涙がこぼれてくる。この人達の尊い犠牲があるからこそ、今日の日本の繁栄と平和があるのだから、と。

 国際反戦デーとは、「1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。1968年には、新左翼による新宿騒乱を起こすまでになった。やがて左翼運動の退潮により、一般人からは忘れられた記念日となった観があるが、反戦運動にとっては今もなお、重要な記念日となっており、この日に合わせて各種集会が開かれている。」

 とフリー百科にあるが、私の記憶では、アメリカが始めて北ベトナムの爆撃を行った日を記念して総評が反戦統一ストを呼びかけたと、思っていたが、記憶違いか。

 この日、北朝鮮問題で、大手ゼネコンに対して、発砲事件を起こした、大行社の木川智君の戦線復帰の激励会が、午後一時より、靖国会館にて行われた。午前十一時より、昇殿参拝。一時の開会には、会場に溢れんばかりの人達が、木川君の復帰をお祝いした。

 四時前に帰宅。事務所に寄ってから、家人と合流して、久し振りに家族で「清水苑」にて食事。「黒霧島」の四合瓶を半分ほど飲んで寝た。

コメント (2)
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まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ

2009-10-22 10:07:40 | インポート

十月二十日(火)晴れ。地久節。群青忌。

 皇后陛下のお誕生日、地久節である。起床後、皇居を拝し、皇后様のお誕生日を寿ぎ、ご皇室の弥栄と両陛下のご健康をご祈念した。

 また、今日は、野村先生の十六年目のご命日。遺著となった「さらば群青」から、私の道の兄であった、元楯の会の会員、故阿部勉さんが命名した「群青忌」。野村先生が亡くなられた平成五年の翌年に、追悼集会「群青忌」を開催した。以後、十年間、毎年行なってきたが、思うことあって平成十五年の第十回を一区切りとした。その後は、五年ごとに開催することを決めて、昨年、五年ぶりに「群青忌」を開催し、多くの方たちのご参加を得た。今年は、十七回忌となる。案内状などを一切出さずにいたにも関わらず、菩提寺には百名以上の方が法事に参加してくれた。有り難いことと感謝している。私の命のある限り、恩師の思想と行動が風化せぬように努力したいと思っている。社友会、同志の皆様におかれましては、今後共、変わらぬご支援と、ご鞭撻の程を伏してお願い致します。

 まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ

 嗚呼祖国 菊の白さを疑はぬ

 いわし雲 祖国の涙 誰に告げむ

 野村先生の獄中句集「銀河蒼茫」から秋の句である。

 今日は、沖縄から友人二人が来訪。横浜駅近くの料理屋にて会食した。駅前で待ち合わせをしたが、ものすごい人が集っている。神奈川参議院選挙の補選で民主党の候補者の応援演説に鳩山総理が来るとのことで集っている人達と分かった。恐らく、自民党の谷垣総裁が来たとしても、これほどは集るまい。人垣を掻き分けてようやく合流。久闊を叙した後に、まず一献。その後、サリーの店に転戦してから帰宅。


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