白雲去来

蜷川正大の日々是口実

社友と別れ、還暦祝いのパーティーへ。

2009-10-19 10:55:37 | インポート

十月十八日(日)晴れ。

 さすがに朝がきつかった。十時に社友の皆さんが泊まっているホテルに迎えに行く。今日、新幹線にて帰る人達とともに朝食、いや昼食を共にする。本来は、「安記」でもと思ったが、人数が多いので、昨日に引き続き「菜香」へ行った。サリーが合流。社友の人達におみやげを頂く。皆で記念写真を撮り、新横浜まで送って解散。再会を約す。

 その後、事務所に行き郵便物などの確認。先輩の花房東洋さんから聞いた言葉だが、行事に出席をしたくとも、様々な事情で欠席しなければならない。しかし、心は出席した皆さんと共にある。すなわち心で参加するから「心参」。良い言葉だ。その「心参」の方たちから電報や手紙、あるいは葉書にファックスが沢山届いていた。有り難いことだ。四時に自宅に戻る。

 夜は、六時から、原宿の「南国酒家」にて、大日本一誠会の渡邊謙二会長の還暦祝いのパーティーが催されるので出席。早目に着いたので、原宿の町を少し歩いたが、まあ私のようなオヤジがブラブラする場所ではなく、石井スポーツに入ってテントなどを見て時間調整をした。

 六時前に受付を済ませてテーブルへ。いつもの諸先輩、諸先生と同席。六時に始まったパーティーは、とても楽しかった。渡邊会長とは、もう長いお付き合いだ。同席の人達と紹興酒を楽しんで、料理に舌鼓を打つ。しかし考えてみれば、もう三日連続で中華料理だ。様々なゲスト出演があって、八時半に終了。大行社の内川君と共に帰宅。さすがに疲れた。


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先生の十七回忌が無事に終了しました。

2009-10-19 10:31:44 | インポート

十月十七日(土)晴れ。

 六時に起床。早めに寝て良かった。我が家に泊まった栃木社友会の湯浅君と共に簡単な朝食を取り、来訪した松本佳展君らと関内のホテルに泊まっている社友の人達を迎えに行く。一度、我が家に戻り、伊勢原へ。九時に着。良い天気である。

 まず先生のお墓に花を手向けてお参りする。その後、私の両親のお墓にもお参り。十七回忌ということもあって、失礼かと思い、今回の法事には案内状などをつくらず、私のブログと「燃えよ祖国」、一水会の機関誌のみの案内となった。どれほどの人達が来るのかと思ったら、何と百名以上の方たちが参加してくれた。先生の自裁から十六年が経つというのに、先生を慕う人達は年々増えている。案内状を出さずともこれだけの方たちが着てくれるのだから、もし本格的にご案内をしたら、恐らく、大変な人数になったに違いあるまい。

 十一時から本堂で読経。その後墓前で線香を手向ける。年に一度、社友会の人達とお会いすることがとても楽しみである。終了後は、直会の会場の中華街の「菜香」へ。ここも、当初四十から五十名の予約しかしていなかったが、七十名以上もの人達が参加。土曜日とあって店が混んでいるのを無理やりお願いして席を増やして頂いた。四時に終了。

 先生の奥様などとはここでお別れして、社友と共にサリーの店へ。ここも満員。一人づつ、なぜ、群青忌に参加するようになったのかを語ってもらった。先生が聞いたなら、喜んでくれたに違いあるまい。良いニ次会となった。七時近くに解散。

 作家の山平重樹氏と打ち合わせがあるので、更に一軒転戦してから帰宅。十一時を過ぎていた。感謝、感謝の一日だった。群青忌を続け、どんなに苦しくても機関誌を発行続け来て良かったと思うのは、こんな時だ。それがなかったならば、今日の人達との出会いは決してなかっただろう。次は二十年祭に向けて全力投球するのみ。

コメント (1)
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名古屋から横浜に戻り、社友らと一献。

2009-10-19 09:57:39 | インポート

十月十六日(金)晴れ。

 朝八時に起床。私は、どんなに二日酔いでも寝ぼけていても、朝食をしっかり取らなくては調子が出ない。朝食会場に行ったが、高級感のあるホテルの割には、バイキングのメニューが少なく、チヨットガッカリした。食後に、部屋に戻ってシャワーを浴びてロビーへ降りる。

 お世話になっている方たちと待ち合わせて、タクシーで中日劇場へ。私は、本格的な芝居を見るのははじめてである。余り寝ていないので、途中、居眠りしてしまうのではと、心配だったが、内容がとても素晴らしく、眠気などはすっ飛んでしまい、あっという間の二時間半だった。

Img143 お芝居のポスターです。

 いやはや感激しました。さすがに大掛かりな舞台や、一流の役者は違う、と圧倒されました。幕間の昼食は、友人等が、名古屋名物の「天むす」をご馳走になった。終了したのは二時半。本来は、夕方、出演された方を囲み、友人氏らと食事をする予定だったが、明日の野村先生の十七回忌に参加するために地方から社友が来るので、四時の「のぞみ」で横浜へ向かう。

 五時半に着。自宅に戻り、着替えを済ませて関内のホテルに向かう。遠くは、札幌、新潟や栃木、京都、丹波、神戸、滋賀などより社友等が続々来訪。「中華飯店」にて夕食をとり、サリーの店へ。明日が早いので十時前に解散。


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忙中閑有り、で名古屋へ。

2009-10-19 09:28:45 | インポート

十月十五日(木)晴れ。

 朝から東京行き。午前中に打合せを済ませて、横浜へ戻る。今日は、夕方の新幹線にて、名古屋行き。お世話になっている友人の方々から、観劇に誘われた。本当は、野村先生の十七回忌の法要の準備があるので、ご遠慮しようかとも思ったが、お誘いしてくれた友人いわく「『忙中有閑』で行きましょう」。ありがたい言葉に甘えた次第である。観劇は明日なのだが、午前中の部ということで、前日からの名古屋入りということになった。

 四時の、のぞみで友人氏と合流。ウトウトする間もなく名古屋着。そのまま駅に直結したホテルにチェックイン。新しいホテルで、とても豪華で恐縮してしまう。貧乏性のせいか、ホテルを楽しむという、心の余裕がない。どうせ酔っ払って寝るだけなのだから、あまり高級なホテルは正直言って勿体ない。

 六時半に、ロビーで、友人氏らと待ち合わせて。夕食を兼ねた一献会。焼酎のメニューを見たなら「王道楽土」という銘柄のものがあり、名前が気に入って、オーダーした。かつて、先人が満州の地にアジアの五族の協和のもとに、建設しようとした王道楽土、満州国。民主党が口にする「東アジア共同体」などよりも、格段とレベルの高いものだった。戦後、様々な批判にさらされている満州国だが、いつの日か、その理想郷が再評価されるに違いあるまい。

 その後、お決まりのコースで繁華街へ転戦。行きつけの店を見れば、その人が分かる。という言葉があるが、とても雰囲気の良いお店で、つい長居をしてしまった。ホテルに戻ったのは、二時近く。ご馳走様でした。


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