白雲去来

蜷川正大の日々是口実

久し振りに良い一日だった。

2010-05-08 23:58:40 | インポート

五月六日(木)晴れ。

 朝から東京行き。公私共にお世話になっいる方へご挨拶。先月は、その方の都合が悪く、お会いすることが出来なかったが、今回は、一時間ほど、様々な話をお聞かせ頂いた。酒友と共に、ご挨拶をして辞す。

 東京から電車で保土ヶ谷に戻ったのが、丁度昼だった。以前から、保土ヶ谷駅の西口(国道沿いではない方)に、とても気になっていた蕎麦屋があった。どう気になっていたかと言えば、その店構えである。細い裏道にあるので、車の駐車スペースがない。いつか寄ろうと思ってから、随分と長い年月が経っていたと思う。今回は、そのことを思い出して、寄ってみた。お店の名前は、「宿場そば・桑名屋」。

 駅から線路伝いに歩いて約十メートル程度。店構えが、かつて保土ヶ谷が、東海道五十三次の宿場だった頃のイメージを模している。時代がかった店に入ると、座敷である。二階に上がる階段もあったが、とりあえず一階の座敷に上がった。ここはどうしても、燗酒を頼みたかったが、食後、自宅まで歩いて帰ろうと決めていたので、「酒」と喉まで出掛かったが、思い切って、蕎麦だけにした。品書きの中から、「せいろ蕎麦」、早い話が、「もり」を頼んだ。つけ汁も、辛口で子供好みではない。やはり、もっと早くから来るべきだったと、後悔した。そして、東京で酒友と別れたことも併せて後悔した。

 

Nec_0076 ※お店の正面。チョット恥ずかしくて、うまく撮れませんでした。

Nec_0075 ※「せいろ蕎麦」。酒のつまみにもなります。品書きには「抜き」もありました。「抜き」って何だって。下戸と女、子供には分からネェーだろうナァー。

 次に来る時は、必ず「飲みに」来ると誓って店を後にした。次に、向ったのは、この店から、百メートルくらいの所にある「史跡」である。そこも、駐車スペースがないので、いつか、と思っていた場所。

20060915433 

 上記の写真は、横浜市の地域有形民族文化財に指定されている「金沢横町道標四基」である。解説の看板によれば、「この地は、旧東街道の東側で、金沢、浦賀往還への出入り口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。四基の道標は、それぞれ次の通りです。「右側から番号を付す」

 ①円海山之道[天明三年(一七八三)建立]。左側に、「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻されています。建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。円海山は「峯の灸」で有名でした。※余談ではあるが、社友で、「炉端焼き・花笠」のオーナーである尼野保氏のご母堂のお墓が、その円海山にある。

 ②かなさわ・かまくら道[天和二年(一六八二)建立]。左面に「ぐうめし道」と刻されています。

 ③杉田道〔文化十一年(一八一四)建立〕。正面に「程ケ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で、河東節の家元です。

 ④富岡山芋大明神社の道[弘化2年(1845)建立]
建立者は柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。       平成5年3月   横浜市教育委員会

 いやはや、今日は、天気も良いし、気になっていた胸のつかえも取れたし、午前中から良いことずくしである。夜は、友人が、「佐藤」の黒を抱えて来訪。両人対酌山花開 一杯一杯復一杯 我酔欲眠卿且去 明朝有意抱琴来。といった感じで、当然、大破・轟沈。ああ久し振りに良い一日だった。


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横浜に安田善次郎の名前を付けた駅がある。

2010-05-08 09:14:59 | インポート

五月五日(水)晴れ。

 朝七時、弘前からの深夜バスで東京に着いたと連絡があった。なぜか帰りのバスは東京停まり。そこから横須賀線で帰ってくるというので、迎えに行った。愚妻と下の子供が、大きな荷物を抱えて到着。自宅に戻ってから、久し振りに家族揃って朝食。

 良い天気なので、午後からは、納戸の整理を行った。貧乏性なので、中々物を捨てられない。いつか役に立つかもしれないと、とっておくのだが、結局は邪魔になって処分してしまう。結婚式の引き出物や、お中元、お歳暮などで頂いたタオルや石鹸も随分とたまってしまった。どんどん新しいものを使えば良いのだが、それが出来ない。多少古くても捨てられないのだ。困ったものだ。

 産経新聞の横浜版に、「名作まち歩き」というコラムがある。小説に書かれた場所を、作品と共に紹介するものなのだが、これが面白い。と言っても私の場合は、横浜について書かれたもの以外は興味はないが、私の知らない横浜も紹介されているので、切り抜いてスクラップしている。

 先月、紹介されていたのは、笙野頼子さんの「タイムスリップ・コンビナート」という小説に描かれた、JR鶴見線の「海芝浦」という駅。京浜工業伝いを走る鶴見線の終点なのだが、この駅は、一般人は降りることが出来ない。片側は海で、反対側は東芝の工場につながっていて、東芝の社員証がなければ改札を出ることが出来ないのだ。

Photo ※海芝浦駅です。どなたかのサイトからの転用です。すみません。

 ちなみに、鶴見線は埋め立ての場所を走るので、人名の付いた駅もある。例えば、大地主だった小野信行の名前をとった「鶴見小野」。浅野セメントの創業者である浅野総一郎の「浅野」。安田財閥、現在の「みずほグループ」の創始者で、右翼の朝日平吾に刺殺された安田善次郎の名前をとった「安善」など。余談ではあるが、その安田善次郎の寄付で建てられたのが日比谷公会堂。昭和三十五年、社会党の浅沼稲次郎が、その日比谷公会堂で山口二矢に刺殺される。何か不思議な因縁のような気がしてならない。その鶴見線に一度、時間を作って、乗ってみたいと思っている。

 夜は、青森から、好物の「筋子」と鎌田屋の「つがる漬」が届いたので、芋焼酎の「西郷庵」で、今日も我が酔狂亭で中破・良飲。


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