五月六日(木)晴れ。
朝から東京行き。公私共にお世話になっいる方へご挨拶。先月は、その方の都合が悪く、お会いすることが出来なかったが、今回は、一時間ほど、様々な話をお聞かせ頂いた。酒友と共に、ご挨拶をして辞す。
東京から電車で保土ヶ谷に戻ったのが、丁度昼だった。以前から、保土ヶ谷駅の西口(国道沿いではない方)に、とても気になっていた蕎麦屋があった。どう気になっていたかと言えば、その店構えである。細い裏道にあるので、車の駐車スペースがない。いつか寄ろうと思ってから、随分と長い年月が経っていたと思う。今回は、そのことを思い出して、寄ってみた。お店の名前は、「宿場そば・桑名屋」。
駅から線路伝いに歩いて約十メートル程度。店構えが、かつて保土ヶ谷が、東海道五十三次の宿場だった頃のイメージを模している。時代がかった店に入ると、座敷である。二階に上がる階段もあったが、とりあえず一階の座敷に上がった。ここはどうしても、燗酒を頼みたかったが、食後、自宅まで歩いて帰ろうと決めていたので、「酒」と喉まで出掛かったが、思い切って、蕎麦だけにした。品書きの中から、「せいろ蕎麦」、早い話が、「もり」を頼んだ。つけ汁も、辛口で子供好みではない。やはり、もっと早くから来るべきだったと、後悔した。そして、東京で酒友と別れたことも併せて後悔した。
※お店の正面。チョット恥ずかしくて、うまく撮れませんでした。
※「せいろ蕎麦」。酒のつまみにもなります。品書きには「抜き」もありました。「抜き」って何だって。下戸と女、子供には分からネェーだろうナァー。
次に来る時は、必ず「飲みに」来ると誓って店を後にした。次に、向ったのは、この店から、百メートルくらいの所にある「史跡」である。そこも、駐車スペースがないので、いつか、と思っていた場所。
上記の写真は、横浜市の地域有形民族文化財に指定されている「金沢横町道標四基」である。解説の看板によれば、「この地は、旧東街道の東側で、金沢、浦賀往還への出入り口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。四基の道標は、それぞれ次の通りです。「右側から番号を付す」
①円海山之道[天明三年(一七八三)建立]。左側に、「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻されています。建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。円海山は「峯の灸」で有名でした。※余談ではあるが、社友で、「炉端焼き・花笠」のオーナーである尼野保氏のご母堂のお墓が、その円海山にある。
②かなさわ・かまくら道[天和二年(一六八二)建立]。左面に「ぐうめし道」と刻されています。
③杉田道〔文化十一年(一八一四)建立〕。正面に「程ケ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で、河東節の家元です。
④富岡山芋大明神社の道[弘化2年(1845)建立]
建立者は柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。 平成5年3月 横浜市教育委員会
いやはや、今日は、天気も良いし、気になっていた胸のつかえも取れたし、午前中から良いことずくしである。夜は、友人が、「佐藤」の黒を抱えて来訪。両人対酌山花開 一杯一杯復一杯 我酔欲眠卿且去 明朝有意抱琴来。といった感じで、当然、大破・轟沈。ああ久し振りに良い一日だった。