五月十九日(水)曇りのち雨。
午前中は、仕事。今日は大行社の役員会議があるので午後から東京行きである。出掛けに、知り合いのマスコミの方から電話が入り、朝日新聞社名古屋支局における殺傷事件の、いわゆる「赤報隊」の実行犯と名乗り出た、島村征憲が、北海道で白骨化した遺体で見つかった。という事を教えてくれた。
島村には随分と翻弄させられた。別に、週刊新潮に怨みもないが、ロクな取材もせずに、あの世紀の誤報を特集した責任は、今でも重いと思っている。門下生も、いきり立って、もし新潮社が我々に謝罪をしなければ、間違いなく双方に大きな犠牲が出たに違いあるまい。
考えて見れば、島村の虚言を信じた新潮社も、もちろん島村も、我々も皆被害者といえる。新潮社には申し訳ないが、ある意味では、島村は週刊新潮によって利用された結果、世間に顔向けが出来なくなり、自殺に追い込まれたとのではないか思っている。
児玉、野村の両先生はもとより、道のために命を賭けた人々、そして亡くなられた小尻記者たちを愚弄したことの罪は、正に万死に値する。島村の死は、単なる自殺などではなく、かつて民族派運動をしていたことから、自ら責任を取ったのかもしれない。彼の為にも、そう思いたい。
金や名誉や地位などなくとも、人間は正直に生きなければならない。合掌。
午後二時から会議。私は、「大吼」の夏号の進展状態を報告。四時前に終了した。この頃より雨が降ってきた。最近は、天気予報が良く当る。傘を持ってこなかったことを悔やんでも遅かった。大行社の本部に寄り、その後、田町駅近くのモツ焼き屋にて、加藤、村田、内川、小針、木川の諸氏と一献会。先日、横浜駅の西口で入った居酒屋が最悪だったので、幾ら知らぬ街の飲み屋といえど、また人生の大事な一杯を悔やむのか、と恐る恐る入ったが、なんと、焼き鳥一本九十円、刺身の盛合わせ三百六十円の割には、ビンゴだった。いや焼き鳥の専門店にも引けを取らぬ味に、パチパチパチと拍手三つ。
七時過ぎに、小針、村田の両君とともに電車で帰宅。家に着いてから、一杯だけ飲んで、十時前に寝てしまった。