白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「憚りながら」が、売上げ第一位です。

2010-05-21 19:42:28 | インポート

五月二十日(木)晴れ。

 良い天気である。午前中は、ガァーッと仕事をした。午後から事務所へ。機関誌や手紙、寄稿本、ファックスなど届いており、その整理に四時近くまでかかってしまった。

 自宅に、戻る途中に、両面の印刷が出来るプリンター用の厚紙を買うために、伊勢佐木町の有隣堂へ寄った。もちろん一階の本売り場を見て、ランキングを確かめたら、まだ後藤会長の「憚りながら」が、第一位だ。凄いことだ。記念に携帯で写真を撮った。

P1020002 ※やっぱり一位でした。凄いですね。

 連載の原稿を書かなければならないのだが、今日は、どうもバタバタしていたためか、そんな気分ではなく、三船敏郎主演の東宝映画「新撰組」を見ながら、晩酌し、その後は、読書したまま寝てしまった。

 そう言えば、犬塚さんのインタビューに使う写真を、昨日に続き、紹介してみたい。

Img151 ※昭和五十八年?だったと思いますが、沖縄に行った折の写真です。後列、右から四番目が犬塚さんで、その隣が私。前列、右から三番目に、亡くなった板垣哲雄君がいます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤報隊はオレ、と名乗った男が死んだ。

2010-05-21 19:23:08 | インポート

五月十九日(水)曇りのち雨。

 午前中は、仕事。今日は大行社の役員会議があるので午後から東京行きである。出掛けに、知り合いのマスコミの方から電話が入り、朝日新聞社名古屋支局における殺傷事件の、いわゆる「赤報隊」の実行犯と名乗り出た、島村征憲が、北海道で白骨化した遺体で見つかった。という事を教えてくれた。

 島村には随分と翻弄させられた。別に、週刊新潮に怨みもないが、ロクな取材もせずに、あの世紀の誤報を特集した責任は、今でも重いと思っている。門下生も、いきり立って、もし新潮社が我々に謝罪をしなければ、間違いなく双方に大きな犠牲が出たに違いあるまい。

 考えて見れば、島村の虚言を信じた新潮社も、もちろん島村も、我々も皆被害者といえる。新潮社には申し訳ないが、ある意味では、島村は週刊新潮によって利用された結果、世間に顔向けが出来なくなり、自殺に追い込まれたとのではないか思っている。

 児玉、野村の両先生はもとより、道のために命を賭けた人々、そして亡くなられた小尻記者たちを愚弄したことの罪は、正に万死に値する。島村の死は、単なる自殺などではなく、かつて民族派運動をしていたことから、自ら責任を取ったのかもしれない。彼の為にも、そう思いたい。

 金や名誉や地位などなくとも、人間は正直に生きなければならない。合掌。

 午後二時から会議。私は、「大吼」の夏号の進展状態を報告。四時前に終了した。この頃より雨が降ってきた。最近は、天気予報が良く当る。傘を持ってこなかったことを悔やんでも遅かった。大行社の本部に寄り、その後、田町駅近くのモツ焼き屋にて、加藤、村田、内川、小針、木川の諸氏と一献会。先日、横浜駅の西口で入った居酒屋が最悪だったので、幾ら知らぬ街の飲み屋といえど、また人生の大事な一杯を悔やむのか、と恐る恐る入ったが、なんと、焼き鳥一本九十円、刺身の盛合わせ三百六十円の割には、ビンゴだった。いや焼き鳥の専門店にも引けを取らぬ味に、パチパチパチと拍手三つ。

 七時過ぎに、小針、村田の両君とともに電車で帰宅。家に着いてから、一杯だけ飲んで、十時前に寝てしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

整理が悪くて、いつも悩む。

2010-05-21 11:16:20 | インポート

五月十八日(火)晴れ。

 仕事がたまっていて、毎日忙しい。忙しいといっても、殆どが金にもならないことばかりなのだが、それでも仕事は仕事なので、やらないわけには行かない。

 事務所で、資料を探していたのだが、整理が悪いので、いつも何処にあるのか判らなくて、あっちこっち引っ掻き回した挙句にあきらめる、というパターンとなっていいる。そして、必要がなくなってしまってから、或る日、突然、アレこんな所にあった。となる。

 例えば、アルバムなどに貼っておいた写真を機関誌や、マスコミの方に頼まれて貸した写真などが戻ってくると、すぐに元あったアルバムに戻せば良いのだが、つい机の引き出しなどにしまったままにしてしまう。それが行方不明の原因となってしまうのだ。それでも、事務所の中のどこかにある、という思いがあるので、安心してしまうのかもしれない。

 今日も、そうだった。先日、新しく民族革新会議の議長になられた、犬塚哲爾さんが、横浜にお見えになるというので、私の事務所に来て頂きインタビューを行なった。その時の内容は、「大吼」の夏号に掲載する予定なのだが、その折に、かつて民革が主導して、エリツインの来日反対・北方領土奪還国民総決起大会の話題になった。

 そういえば、その時のポスターが、どこかにあったのを思い出し。これまた一時間ほど、あちらこちらを探した結果、やっと見つけた。亡くなられた、重遠社の三浦重周さんがデザインしたものだ。いずれ、そういった資料を整理しなければ、と思いつつ、いつも手をつけずにいる。

Img100701_3 ※当時のポスターです。

 夜は、我が酔狂亭にて、「黒霧島」で酔った。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする