九月二十日(月)晴れ。
彼岸の入りである。昨日の渋滞に懲りて、家族全員を六時にたたき起こして、朝食もとらずに伊勢原へ。朝早かったせいか東名はスムースに走れた。お約束の海老名インターでメロンパンを買う。子供達いわく、下り車線のSAにあるパン屋の方が美味しいとのこと。朝食を食べたが、この東名のSAの食堂の不味さは何とかならないものか。ロクなメニューがないので、牛丼で有名な店の朝定食を食べたが、紅生姜や醤油を置いてあるテーブルは、そこいら中に紅生姜が落ちていたり、醤油の容器はドロドロで、この野郎状態だった。基本がなっていない。社長のバカ面が想像つく。きっとトイレに入っても手を洗わないに違いない。吉野家、お前だよ。
従業員が、それを見ていてもきれいにしようともしない。刑務所の食事よりヒドイ。もっともこんな牛丼屋が、終戦直後ではあるまいに、堂々と「食事」とされているのだから、我々日本人も反省しなければいけないのかもしれない。
朝が早かったのでいつも花を買うJAの、無愛想なババアがいる店が開いていなかった。浄発願寺に行く途中にあるJAの売り場、本当に無愛想なババアがいる。私は、「笑顔」や「挨拶」はタダであり、それを行なえない人たちは、人前に立つ資格がないと思っている。頭を下げても腰は曲がらない。と言うのが私の人生哲学である。
浄発願寺着。まずご住職にご挨拶。先生のお墓には、まだ新しい花が。聞けば昨日奥様がいらしたとのこと。家族で先生のお墓を清めて、手を合わせる。今日は、先生の月命日である。その後、私の両親のお墓に詣でる。歳のせいか、両親のお墓に行くと涙腺がゆるむ。家族の無病息災をお願いしてお寺を後にした。
事務所に寄り、窓を全て開け放って掃除をした。荷物に占領され、新しい本を置く場所もない。申し訳ないが、頂いた手紙や、古い機関誌の類いは全て廃棄することにした。後ろ髪を引かれる思いがする。
三時過ぎに自宅に戻り、少し横になった。夕食後は、「燃えよ祖国」の原稿と校正に精を出す。気がつけば深夜の二時を回っていた。