白雲去来

蜷川正大の日々是口実

一年ぶりに、本牧の市民プールへ。

2011-08-15 11:01:27 | インポート

八月十四日(日)晴れ。

 午前中に、内田団長が来訪して、納戸の屋根のペンキ塗りをして頂いた。さすがに、本塗りは素人では無理なので、私は、もっぱら自宅で仕事。

 午前中で、ペンキ塗りを終了して頂き、午後からは皆で、サリーファミリーが毎年この時期に行なっている本牧の市民プールでの集りへ行った。

 市民プールのある間門(まかど)は、私が子供の頃は海だった。プールの手前にある、本牧と間門への分かれ道の小高い丘の上には、かつて間門園という旅館があった。もちろん訪れたことはないが、昭和が終わる頃まで営業していたと記憶している。その旅館を定宿としていたのが作家の山本周五郎である。氏はそこを書斎として数々の名作を書いた。当時、間門園の部屋から眺める本牧の海は、さぞや風情があったに違いあるまい。その海も埋め立てられ、石油コンビナートなどが並ぶ京浜工業地帯となり、今では海があったことさえ知る人は少ない。

 市民プールのすぐ上には、三渓園という名園がある。花見の時期には人で賑わう。そこから間門の海に下りることができて、子供の頃には海水浴に興じたことがある。もう半世紀も前の事だ。便利も良いが、一度失った自然は、二度と戻らない。海が眼前にあったほうが、どれほど人の心がなごみ、安らぐのだろうか。高度経済成長の美名の下に、戦後の日本と日本人は、本来、失ってはならないものを失い、繁栄を享受してきた。自然の風景、とりわけ古代から続く海原は一資本家や政治家のものではないはずだ。原発もしかり。その原発事故を契機に日本人は、山紫水明の山河を破壊してきたことの愚かさを反省しなければならない。

 日曜日とあって、プールは凄い人である。いつもの集合場所で、サリーファミリーの皆さんと合流。今回は二十人近い。それぞれが、料理を持ち込み、テーブルを囲んで楽しんでいる。

 プールは、体を冷やすために入る程度で、もっぱらおしゃべりが中心。内田団長家族も合流。四時過ぎまでプールにいて解散。二次会を、サリーの住まいのすぐ近くにある美奈登庵という蕎麦屋で行なうが、ここにも十人ほどの人たちが集まった。

 ヘロヘロになって帰宅し、七時過ぎには寝てしまった。


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