白雲去来

蜷川正大の日々是口実

俺がすてたら、誰が唄うかヨコハマの歌。

2011-08-09 15:55:28 | インポート

八月八日(月)晴れ。

 朝食後に一時間半ほどウォーキング。午後から事務所にて少し仕事してから帰宅。家に誰もいないので、気分転換に部屋の掃除をした。昨年、保険が満期となり、少々戻ったお金で、KENWOODのミニコンポを買った。本当はBOSEのCD専用のコンポが欲しかったのだが、七万円もするので、安いものにした。(今週発売の「週刊朝日」のグラビア、横尾忠則氏の部屋にそのBOSEのコンポがあった)それでも、我が陋屋には分不相応な音が流れる。

 私は、音楽は好きだが、これでなければ駄目、というこだわりのジャンルはない。その時の気分で、ジャズからロック、歌謡曲から軍歌まで聞く。ただどうしても趣味に合わないのは、「レゲエ」、「ヒップホップ」と「ラップ」である。車に乗っていても、これらの曲や歌がかかると、すぐスイッチを消してしまう。どうも馴染めない。これだけは歳のせいにされても、反論しない。

 CDも二百枚以上は持っているが、最近買ったものが三枚。「B・B・King greatest hits」とエリック・クランプトンが参加しているジヨン・メイオールのブルース・アルバム、そして、亡くなられたディブ平尾氏の代表作とも言うべき「横浜ルネッサンス」の三枚である。昨日、亡くなられたジョー山中氏を偲んで、勝手にブルースのCDを聞きながら、部屋の掃除をした。

 元ゴールデンカップスのボーカルであったディブ平尾氏の「横浜ルネッサンス」には、エデイ藩やルイズルイス加部、阿木曜子、藤竜也、李 世福といった横浜に縁のある人たちが参加している。その中でも、「ジョー・ジャコミン」が有名なのだが、山本伊織作詞、ルイズルイス加部作曲の「グリーン・カード」という曲が好きだ。また、その曲と詩が、昨日亡くなられたジョー山中氏へのレクイエムのような気がするからだ。

 グリーン・カード

 船が出て行く あいつが手を振る

 遠いニューヨーク 夢抱き旅立つ

 俺は本牧 ブルース・シンガー

 好きなジェームス 俺のオーティス I love Soul

 俺がすてたら誰が唄うか ヨコハマの歌

 消えたあいつが笑って手にした グリーンカード

 「グリーン・カード」とは、アメリカにおける永住権、およびその証明書の通称である。ジョー山中氏は、天国行きのグリーンカードを手にして旅立って行ったに違いあるまい。

 夜は、鹿児島の未見の社友から松本君経由で送られた「南之方(みなんかた)」という薩摩焼酎で酔った。

Img662 ※「横浜ルネツサンス」。その昔、小港の山手警察の近くにあった米軍専用クラブの「シーサイド・クラブ」を車の中から見たものが表紙になっていてシブイ。ちなみにこのアルバムの解説は平岡正明氏である。


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ジョー山中の歌を最後に聞いたのは、四ヶ月前だった。

2011-08-09 14:54:19 | インポート

八月七日(日)晴れ。

 朝から、「大吼」関係の仕事をした。原稿をお願いした諸先生の半分くらいが、手書きの原稿なので、パソコンに入力する作業をサボると大変なことになる。サリーやカメ&アコちゃんたちにプールに誘われたが、真面目に仕事をした。

 夜に、サリーからメールが入り、旧知のジョー山中さんが亡くなられたとの知らせがあった。今年は、随分と知り合いの訃報が続く。五月には、私がこの運動に入るきっかけとなった小早川久之先生が亡くなり、翌月には義友連合会の山田義友先生、七月には、三田忠充氏が亡くなられた。そして今日のジョー山中氏である。体調が悪いとは聞いていたが、四月二十八日のサリーのパーティーで会ったのが最後となった。

 ジョー山中氏を初めて見たのは随分前の事で、グループサウンズの全盛期、彼が491(フォー・ナイン・エース)にいた頃で、場所は、伊勢佐木町にあった「ピーナツ」というジャズ喫茶だった。私はまだ高校生だった。

 印象に残っているのが、元町にあったディスコ「アストロ」で、内田裕也さんのフラワー・トラベリン・バンドのヴォーカル時代。そのFTBのリードギターがめちゃくちゃ上手で、そのギターテクニックに驚きながら、ジョー山中の歌うレッド・ツェッペリンの「胸一杯の愛を」を聴いた時の感動が忘れられない。

 その後、様々なパーティーで一緒になったり、最近は、もう十二年も行なっているサリーズバーのパーティーで、毎回ゲスト出演していたこともあり、親しくさせて頂いた。YCC(横浜・クルージング・クラブ)にて行なわれた、彼の還暦を祝う会にも出席をさせて頂いた。その時に、チャンチャンコの代わりに赤いシューズを頂いたと喜んでいたのも、つい最近のような気がする。

 元町の「クリフサイド」にて行なわれた、旧ナポレオン党主催のパーティーにもゲスト出演して、ジェイムス・ブラウンの「メンズ・メンズ・ワールド」を歌った。

Img661 ※平成十九年。サリーズバーのパーティーで。後列、左から、故三浦和義氏、蜷川、サリー。前列、故ジョー山中氏、元ゴールデン・カップスのエディ藩氏。

 「人間の証明」の主題歌がヒットした頃、私が、「ストローハット」というスナックを経営していたことがあった。そのお店の名も、彼の歌に因んだものだった。心からご冥福を。

 夜は、家族に文句を言われるので、「三国志」を見ながら軽く家飲み。


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