八月二十五日(木)晴れ。
朝、目を覚ますと、昨夜の醜態が甦ってきて、遅ればせながら赤面する。昨夜は、何軒ハシゴしたのだろうか。梅田雲浜ではないが、「妻は病床に伏し児は餓えに泣く」とも父は狭斜の巷での傾城買いを止められず、手裏剣のように金を払う。「男の酒の嬉しさ」が、何よりも好きなだけだ。そして、わが街ヨコハマを愛して貰うことが、ことのほか嬉しい。
酒を飲まぬ仲間からは、陰口を叩かれるが、そんな人生を反省せずに齢六十を過ぎた。野村先生ではないが、「酒もやらず、煙草もやらず、女もやらずに百まで生きた馬鹿」という都都逸を自虐的に口ずさむが、一生懸命に運動している同志諸兄に申し訳ない。という思いをいつも持っている。(というのは嘘ですが・・・。)
昨日は、私の馴染みの店に行った次に仕上げで、サリーの店に行った所、元ゴールデンカップスのエディ蕃と、「バラ色の雲と思い出を乗せて」のヒット曲で我々の世代には懐かしい元ビレッジシンガースのヴォーカルの清水道夫氏などと一緒になり、楽しい時間を過ごした。その後、サリーや関内のママ連中を連れてどこかに行ったのだが全く記憶にない。それでもちゃんと家に帰るのだから不思議だ。ここが展転社の藤本と私の差である。
酔って御前様で帰った翌日は家族の冷たい視線に耐えながら黙々と仕事をした。夜は糖質ゼロのビールを一本飲んで、反省しつつ悶々として床についた。家族の沈黙が、怖いと思ったのは久し振りの事だった。