白雲去来

蜷川正大の日々是口実

レコンキスタに恐縮、汗顔、赤面の至り。

2011-08-04 13:34:54 | インポート

八月三日(水)曇り。

 まったく、お天道さんよ、晴れるのか、曇るのか、雨降らすのかハッキリしてくれよ。こう言うようなハンパな天気が一番嫌だ。

 午前中に、かかりつけの医者に行くために往復で一時間ほど歩いて、いい汗かいた。帰宅して、シャワーでさっぱりしてから、下の子供を連れて、みなとみらいへ暇つぶしに行く。何を買うでもないのだが、文字通りのウインド・ショッピングに徹してから、スタバでお茶して終り。

 しかし、最近のショピングモールには、私のようなオヤジの着るような物を置いてある店がほとんどない。ユニクロに行ってもサイズはないし、画一的なものばかり。まあ、家族でユニクロやH&Mの服を着て、回転寿司に行き、赤い看板の店で飲んで、ブロイラーのような生活をして下さい。世の中、右も左も真っ暗闇じゃございませんか。

 そういえば、一水会の機関紙「レコンキスタ」の今月号の第二面に、国の子評論の横山孝平氏が、過日行なった私の還暦祝いのことを、とても良い文章で書いて頂いている。正に、恐縮、汗顔、赤面の至りである。しかし、最近のレコンは紙面が充実している。木村代表の活躍も、八面六臂、縦横無尽、東奔西走の活躍で、単なる活動家の域を脱している。

 若い頃から知っているので、二人きりになると、つい「三ちゃん」などと愛称で呼んでしまうが、これからは改めなければと思っている。ただ惜しむらるくは、酒や食に対するこだわりがなく、飲めれば、お腹が一杯になれば、どこでも良い、というスタイルだ。まあ、それが庶民的で、人気の源かもしれないが、人と付き合うのは、酒と付き合うことと同義語と思っている私は、どうも、そこら辺が気になってしまうのである。

 今日も、週刊朝日のM女史から頂いた「禰澄海(ねずみ)」という焼酎を家飲みした。初めての焼酎だったが、これが中々美味かった。


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大酒家と呼んでくれ。

2011-08-04 13:05:04 | インポート

八月二日(火)曇り。

 朝食後に一時間ほど歩いた。曇っていたので、さほど暑くはなかったが、それでもいい汗をかいた。

 過日、このブログを読んでいる方から、「毎日、飲んだくれてる」と言われたが、まあその通りで、弁解の余地もない。いや弁解する必要もないか。自分の稼ぎで、自分の器量で飲んでいるのだから、誰に迷惑を掛けているわけではない。

 「飲んだくれ」という言葉は、余り、いい感じがしないが、広辞苑で見ると「ひどく酔っ払うこと」「大酒のみ」「大酒家」とあった。「大酒家」とはチョット渋いではないか。まあ六十にもなって、毎日好きな酒が飲めないようでは、器量が疑われてしまう。嬉しければ酒、悲しければ酒、楽しければ酒、友が来たれば酒、いや来なくとも、押しかけ、呼び出して酒である。

 大体、医者に通って健康に気をつけていいるのも、血糖値が高くてダイエットしたのも、とどのつまりは、「美味い酒が飲みたい」一心からである。

 漢詩が好きだが、中でも酒にまつわる詩が好きだ。昔の支那の人たちは、なんという酒に対する愛着と親しみと、尊敬心を持っていたのだろうか。車の中に、必ず文庫本を一冊置いておく。それは家族の送り迎えの際に時間が余ると、何もしないでいると手持ち無沙汰なので、そういう時に読むための本を常備しておくのである。長い間、「李白詩選」(岩波文庫)であったが、繰り返し読んでいるうちに、本が随分と傷んできたので、書店に行った際に「白楽天詩選」(岩波文庫)を購入した。

 白楽天は好きで、有名な「長恨歌」や「琵琶行」などは、かつてはそらんじていたものだ。最も、白楽天には酒の詩は少ないが、有名な「林間紅葉」の語源となった「王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄せて題す」の一行がすぐに脳裏に浮かぶ。やはり酒の詩は陶淵明か。

 そういうわけで、今日は家飲み。先日の、名浜のBBQの折に頂いた焼酎「気」という奄美の黒糖焼酎である。正気塾の皆さんを思い出しつつ飲ませて頂いた。

Img653※美味しかったです。久保田准一さん有難うございました。


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お墓参りは、自身の「腸の腐り止め」。

2011-08-04 12:03:09 | インポート

八月一日(月)曇り。

 梅雨が明けたというのに、毎日はっきりしない天気の日が続いている。愚妻が朝仕事に出かける前に洗濯物を干して行くのだが、中々乾くまで外に干せない。何時になったら夏らしいスカッとした青空が見られるのだろうか。

 朝から。連載させて頂いている「実話時報」と「実話ドキュメント」の原稿で格闘した。何しろ「時報」の方は、四百字の原稿用紙にすると十六枚程度で、「ドキュメント」の方は、約八枚。両方で二十四枚も書かなければならない。これは、アホな私にとってはかなり体力の要する仕事である。それでも、こういった発表の場があるだけでも感謝しなければならないと思っている。

 朝、一水会の木村三浩氏より電話があり、十月に秋田で、私の道の兄で、元楯の会の阿部勉さんの十三回忌が行われると連絡して頂いた。阿部さんの三回忌の折には、生まれ故郷の角館を訪れたが、武家屋敷の面影の残る街を歩いていると、ふと阿部さんとばったり出会うような気がしたものだ。久し振りに、阿部さんのお墓参りが出来る。先輩や同志のお墓参りと言うものは、追悼の意味合いもあるが、自身の「腸の腐り止め」なのだ。

 夜は、さすがに酒を抜いて、読書しつつ寝た。


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忌野清志郎の先見性。

2011-08-04 11:10:50 | インポート

七月三十一日(日)曇り。

 今日は、午後二時から「右から考える、脱原発集会&デモ」という催しが、芝公園の二十三号地において行なわれる。主催は統一戦線義勇軍の針谷大輔議長である。針谷議長からの要請で、私も呼びかけ人の末席を汚させて頂いた。

 その折に、「私は参加できないが、構わないのか」、と聞いたところ、「いいです」とのことだったので、ビラの製作や当日の飲み物などを差し入れさせて頂き、私に代わって社友の方たちが参加した。

 私は、今回の原発事故は、日本人が、電力や発電について考える良いきっかけになったと思うのである。今は、多少感情論が先行して、冷静な判断が出来ないのかもしれないが、私は、今日の集会のスローガンのように「友よ山河を亡ぼすなかれ」の「脱原発」に落ち着くのではないかと思う。

 確かに、電力というエネルギーは、ある面では戦略的なものであり、国の産業の基幹となるものであるということは認識している。エネルギーが確保できなければ、製造業などの企業は海外に移るかも知れず、国力は衰退の一途を辿るかもしれない。

 私は、それでも構わないと思っている。事故を起こさないような原発を整備することも大切だが、基本的にそんなことは出来ないと思っている。それは原発を持っている電力会社や政治家が信用ならないからだ。まともな議論をしようと思っても、電力会社のヤラセや、御用学者のヤラセが横行し、真実を国民の前から隠そうという体質がある以上、大切な命をそんな連中に委ねることが果たして出来るのか。

 先ごろ亡くなっ忌野清志郎が二十年ほど前に歌った「サマータイム・ブルース」と「ラヴ・ミー・テンダー」という歌が、今の時代を予言するかのような内容で話題となっているそうだ。その二曲とも反原発を題材にしたものだ。当時、その二曲を入れたアルバムが発売中止となり、ラジオ局からも締め出されたそうだ。もっともその騒動が元となり、かえって話題になりヒットした経緯がある。

 私が気持ち悪いと思うのは、こう言う歌を出すと、どこからかの圧力で、「発売禁止」にしたり、「放送禁止」といったことになってしまうという、権力側の体質である。ある意味では、先ごろの中国の高速鉄道の事故を隠そうという、体質にも似ている。

 本当に安全なのであるならば、たかが(失礼)ロック歌手が反原発の歌を歌ったぐらいでウロウロすることもないのだ。本当のことを、その歌が原発の核心をついているからこそ、隠蔽しようと思ったと・・・。いや間違いないだろう。

 一部の人間だけが儲かったり、安全と安心を共有できない国に、子供達を託すことが出来るのか。この狭い国土に七千万人ぐらいの人口で充分ではないか。そういうことを研究するプロジェクトチームを作って欲しいものだ。

 夜は、カメ&アコちゃんのご招待で、保土ヶ谷駅の近くのうなぎ屋で一杯やった。このお店のご主人は釣り好きで、従って魚に対するこだわりが強いということ。ウナギの「白焼き」と「蒲焼」をメインに、一杯、一杯、復一杯とやって、お二人に感謝しつつ帰宅した。


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