白雲去来

蜷川正大の日々是口実

パソコンがサクサクとなった。

2011-10-03 23:18:40 | インポート

十月二日(日)晴れ。

 気がついたら朝十時。慌てて起きた。遅い朝食を食べた。おかずは、お友達の京子ちゃんから頂いた、大鯵の干物。余り大きすぎて、一人で一匹は食べられない。そして、好物の船納豆。朝食後に、「実話時報」の第二十八回の構想を練っていたら、社友の松本佳展君が、友人を連れて来訪。そういえば、仕事用に使っているパソコンがいきなりダウンしたり、私の使っているパソコンが、とても重たくなっているので、その道のオタクではないプロの方を連れて来て頂いた。

 どんな方かと思ったら、少年工科学校、習志野空挺部隊出身の方で、とてもパソコンオタクとは思えない。パソコンの診断などよりも、そちらの話で盛り上がった。

 まず私が普段使っているディスクトップのパソコンを診断して頂き、不必要なものや、いらないソフトを整理していただいたら、あらら魔法のようにサクサク動くようになった。その他、高いお金を出して買った様々なソフトが、今では合法的に無料でダウンロードできることを教わり、二度驚いた。

 二時を過ぎたので、近くのソバ屋で遅い昼食をと思ったら、お店は昼休み。仕方がないので、バーミヤンへ行った。まあここも中華料理と思わなければ、それなりに食べることが出来る。といっても何を食べても、子供だましなので、餃子をつまみながら三日ぶりに、小瓶の焼酎を飲んだ。

 自宅に戻ったら、「実話時報」の原稿を書くのをうっかり忘れ、慌てて書こうかと思ったが、わずか二合ほどの酒で酔ってしまい。ひとまず寝てから、仕事に取り掛かった。

 八時に起きて、シャワーを浴びてから、パソコンに向う。脱稿したのは深夜の三時。マイッタ。ご褒美にと、「二階堂」を二杯飲んだ。


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今月は、先輩の命日が続く。

2011-10-03 22:51:42 | インポート

十月一日(土)晴れ。

 早、十月である。野村先生の秋の句に、まためぐる 秋のさみしさ 天の濃さ と言うものがある。私達門下生にとっては、本当に、「まためぐる 秋のさみしさ」の月である。

 また今月は、お世話になった方や、尊敬する先輩の命日が続く。まず十一日は、私の道の兄であり、「群青忌」の名付け親である元楯の会の阿部勉さんの命日。今年で十三回忌となり、郷里の秋田で法要が執り行われる。本来ならば出席しなければならないのだが、諸般の事情から参列が出来ない。申し訳ない思いで一杯である。

 十四日は、旗風社を主催しており、民族革新会議の主要メンバーだった松本効三先生のご命日。松本先生には、本当に良くして頂いた。そして二十日は、言うまでもなく野村先生の「群青忌」である。

 二十五日は、野村先生の恩師であった、五・一五事件の三上卓先生のご命日。来年は、その五・一五事件から八十年。門下生である岐阜の花房東洋先輩の主催で岐阜の護国神社にて八十年祭が行なわれる。必ず出席したいと思っている。

 夜は、連載させて頂いている「実話ドキュメント」の原稿書き。真面目に酒を断ってパソコンに向っていた。終了後は、レンタルした「英国王のスピーチ」という映画を見た。日本では、近代のご皇室をあのようには描けないだろうが、単なるヒューマンドラマとしては良い映画だった。気障なようだが、良い映画を見ることは、良い酒、美味い肴、いい女とめぐり合うことと同義語と思う。そして何となく嬉しい気持ちになる。


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映画のパンフレットの原稿を書いた。

2011-10-03 22:26:17 | インポート

九月三十日(金)晴れ。

 夏が戻ってきたような暑い日である。胃の調子が悪く、明日の土曜日に医者の予約をとった。午前中に細々とした用事を済ませ、郵便局に行く用事があるので、久し振りに歩いた。

 一時間十五分のコースだが、足がなまっていて、きつかった。最近、日にちの感覚がなく、原稿の締め切りを二本も忘れていた。六時に、友人と井土ヶ谷駅で待ち合わせをして、一献との約束をしていたが、胃を休めるため、また原稿を書かなければならないので、延期して貰った。

 三時過ぎから、真面目にパソコンに向き合う。あーあ大変だ。酒の約束をしていた友人に断って、我が家に来てもらいお茶。十月の二十九日に公開される見沢知廉君のドキュメンタリー?映画、「天皇ごっこ―見沢知廉・たった一人の革命」に実は私も少しだけ出演している。その映画のパンフレットの原稿を依頼されていたのだが、すっかり忘れていて、催促の電話が入った。最終締め切りが月曜日とのことで、慌てて取り掛かった。

 わずか、四百字の原稿用紙五枚程度のものだが、何といっても文章の才能のカケラもない。呻吟しながら、夜中までかかってやっと脱稿した。自分の書いたものが活字になるということは、不特定多数に「恥」を晒しているのと同義語だ。良く、私の道の兄である故阿部勉氏に、「手紙一つ書けないくせに、文筆業とか理論家とか自称している奴がいるが、お前は、原稿を書く前に、きちんと手紙を書けるような人間になれ」と言われて以来、なるべく礼状などは手書きで出すようにしている。

 夜は、調子悪いので、休肝日として、原稿書きに専念した。

Img701 ※10月29日より11月18日まで公開。新宿KS・CINEMA。


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