白雲去来

蜷川正大の日々是口実

御楯忌

2011-10-12 19:16:54 | インポート

十月十一日(火)晴れ。御楯忌

 今日は、私の道の兄で、「群青忌」の名付け親であり元楯の会の阿部勉さんのご命日である。平成十一年の今日亡くなられた。享年は五十三歳。戒名は泰然院孝岳勉道居士。私が勝手に「御楯忌」としている。二日前の九日に、阿部勉さんの郷里にある菩提寺にて十三回忌の法要が関係者の皆さんによって執り行われた。当初は出席予定であったが、よんどころない用事で欠礼した。(察して下さい)

 

 毎朝、両親の位牌を安置してある仏壇と野村先生の遺影の花の水と仏壇の水を換えてから手を合わせている。うっかりと、今日はお花を新しいものに換えるのを忘れてしまった。スマン阿部さん。

 

 平成十年に、杉田幸三氏が監修、森田忠明氏が発行した合同歌集「国風(くにぶり)」に阿部さんも「春も酒」と題した短歌を八首寄せている。

 その中で、皆が阿部さんの辞世としているものが、

 われ死なば火にはくぶるな「栄川(えいせん)」の二級に浸して土に埋めよ

というものである。本当にいい人ばかりが先に逝く。もう一首私の好きな阿部さんの歌は、

 数知れぬ過失は酒とともにありその酒を抱きてけふも堕ちなん

 

 ちなみに、私も下手くそな歌で参加している。題は「漢家の烽火(のろし)」というものである。その昔の中国は漢の時代、北方から侵略を伺う匈奴(北方の騎馬民族)を警戒するために、烽火台を設けて、都に危急を知らせた。それを題材として詠んだものである。

 楼蘭の月の砂漠を越え行けば砂塵のかなた天山の見ゆ

 月光を背負いて走る青狼の匈奴せまるか漢家の烽火

 いにしへの唐の都を訪ねきて漢楚の興亡おもひしかな

 屈原の離騒賦あはれ身を投げし汨羅の淵に春なほ遠し

 寒風に吼ゆる別れの筑の宴ゆきし壮士のまた還らざる

 お恥ずかしい次第です。もっとも中国は香港と上海しか行ったことがなく、読んだ数多の中国関係の本からイメージして作ったものです。洛陽と長安(現在は西安)には行って見たいと思っています。

 

 夜は、名前だけは真面目な「蜷川政経懇」を中学の同級生の経営している野毛の「弥平」にて開催。新鮮な刺身や天麩羅に舌鼓を打つ。終了後は、有志らと関内に転戦。いい夜だった。


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