白雲去来

蜷川正大の日々是口実

体育の日に思う。

2011-10-11 16:20:28 | インポート

十月十日(月)体育の日。

 昭和三十九年の今日、東京でオリンピックが開催された。私は中学の二年生で陸上部に所属していた。努力すれば、いつかはあの大観衆の中で走ることが出来ると信じていた。

 

 その時の、国立競技場の上に広がっていた澄んだ秋晴れの空を今も思い出すことが出来る。聖火の最終ランナーが聖火台の横に立って聖火を高く掲げた時の息づかい、競技場に響くファンファーレ。源田サーカスと言われた自衛隊のジェット機が空に描いた五つの輪。整然と行進する選手団。生まれて初めて日本人であることを誇らしく思った。

 

 このような感動を懐かしむのは、恐らく五十過ぎの人に違いあるまい。体育の日は、たまたま今日になったが、十一年前から体育の日は「十月の第二月曜日」となった。アジアで初の、そしてあの終戦からわずか十九年をして、このような大会を開けるまでになった当時の人たちの努力に敬意を表し、小中学校の運動会は、この日にすべきだと思う。バカな文科省の小役人が、二学期制にしたために、私の子供が通っている学校では、運動会は春に行なわれる。

 

 このように、日本の伝統と文化が少しづつ壊されて行く。きっとそういう意図を持った人間が、画策しているに違いあるまい。このような制度や、法律を作ったときには、その過程や関わった人間をきちんと記録しておく。そしていつかその悪事が露見した時には、七族までさかのぼって、磔、獄門に処するべきなのだ。もちろん年金を使い込んだ連中も含めて・・・。マジでそう思っています。

 

 夕方に、大日本一誠会の仲程、木場の両氏に迎えに来て頂き、義信塾の市村悟氏のご母堂の通夜式に出席するために、朝比奈の南部斎場へ行く。会場で中村議長や駆けつけた同志諸兄にご挨拶。愛国党の舟川孝氏と久し振りにお会いしたので中華街でもと思ったが、時計を見ればまだ五時前。次の機会を楽しみにと別れた。再び仲程、木場の両氏に送って頂き帰宅。

 

 十五日の群青忌に来訪する地方の社友や同志の方々のホテルの手配や、車の手配で、何かと気ぜわしい。ようやく、八時までかかって、「燃えよ祖国」の「野村先生没後十八年特別号」の初稿が上がった。何とか、土曜日までには完成させたいと思っている。


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