白雲去来

蜷川正大の日々是口実

沖縄へ。

2012-03-13 18:02:18 | インポート

三月十二日(月)晴れ。

 昨日、古い門下生で沖縄に在住の金城薫君から電話が入り、「蜷川さん。沖縄は寒いですよ。私なんかは、長袖にジャンパーを着ています」。とのこと。私が、寒いって、何度くらいあるの?と聞けば、「最低が、十四度で、最高が十八度位です」。これには笑ってしまった。横浜では十八度では、ワイシャツ一枚で十分である。暑い日常に慣れている沖縄では、寒いと感じるのだから、日本は狭いようで広い。

 

 朝、松本君に迎えに来てもらい羽田へ。十一時に空港で隠岐康氏と合流。十一時四十五分のJALにて一路沖縄へ。今年は、沖縄の祖国復帰四十年という節目の年である。五月十五日の復帰の日にあわせて沖縄訪問を予定していたが、五月十五日は、昭和七年の五・一五事件から八十年という年でもある。岐阜の護国神社にて追悼集会があり出席の予定でいる。したがって沖縄の祖国復帰の記念行事を六月に延期した。

 

 今回の訪沖は、その準備を兼ねて現地の方々との打ち合わせや、バス会社、記念式典会場の下見など、現地調査が目的である。

 

 飛行機は、一時間遅れで那覇空港着。空港には、金城薫君が待っていてくれた。久闊を叙して、とりあえずホテルへ。今回の宿は、国際通りの中心にあるDホテル。最近出来たばかりという新しいホテルである。荷物を降ろしてからお約束の平和通りの中の観光市場で安着祝いを行う。

 

 夜七時、産経新聞の那覇支局長の宮本雅史氏と合流して、沖縄料理の店へ。その後、古い同志の新垣和彦氏らも合流。六月の訪沖の打ち合わせを行う。「島酒」や沖縄料理に酔い、新垣氏の馴染みのお店に転戦。さすがに疲れていたので、十二時に解散。

Dscf4176 ※いつも視線が釘付けになる。

Dscf4188 ※沖縄料理の店にて。左から、宮本氏、隠岐氏、新垣氏の門下生、蜷川。


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大震災から一年。

2012-03-13 07:56:01 | インポート

三月十一日(日)晴れ。

 久しぶりに太陽が顔を出した。静かな休日である。めずらしく家族全員が何も用事もなく、自宅でそれぞれ、思い思いのことをしている。

 

 あの大震災から一年。不幸にも亡くなられた多くの方々に、国民のすべてが哀悼の意を表しているに違いない。我が家も、二時四十六分に家族で黙とうを捧げた。ご病気が全快していないにもかかわらず追悼集会にご出席なされた陛下の国民を思う気持ちには、ただ恐懼するのみ。

 

 朝食後は、名古屋女子マラソンを見る。オリンピックの出場選考会とはいえ豪華な選手が出ている。誰が勝ってもおかしくないし、皆オリンピックに出してあげたい。そんな私の感傷をよそにスタート。個人的には、三井住友の渋井陽子が好きだが、第一生命の尾崎にも勝たせてあげたい。手に汗握る、とはまさに今日のレースを言うのだろう。見ごたえがあった。ゴール手前で、尾崎が日本人一位で入った。これで、オリンピックの出場は間違いないだろう。

 

 夜は、明日からの沖縄行きの準備。準備をしながら軽く一杯やって、早めに寝た。


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