白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お墓参りに。

2012-03-19 12:00:37 | インポート

三月十八日(日)曇り。彼岸の入り。

 七時に起床。家族で朝食ののちに伊勢原へ。すでに大悲会の小森正春君が先生のお墓の掃除を済ませて、帰路につくとの連絡か入った。大悲会は、毎月必ず先生のお墓の掃除に行く。とりわけ最近は小森君が専属で掃除を行っている。心を学ぶのも門下生の道でもある。

 珍しく、横浜は霧が出た。私が若い頃。昭和四十年代だが、春から夏にかけて良く霧が発生した。その霧が港から関内まで流れてきて、それに汽笛などが聞こえると、横浜で生まれたことを何か誇らしくなったものだ。まるで日活映画の主人公になったような気にもなった。東名高速でそんなことを思い出しているうちに伊勢原の浄発願寺に着いた。

Dscf4278※霧の第二国道、ではない東名高速。

 浄発願寺は、野村先生がお墓を建てた二十年前頃は、ほとんど訪れる人もない、山間の静かな古刹だったが、墓地を分譲した分、今日のような彼岸の日は、駐車場は満員で、臨時の交通整理の人が出ていた。正に隔世の感がある。ご住職にご挨拶をして、野村先生のお墓と、私の両親のお墓を掃除してからお参り。

 帰路に海老名のSAに寄るが、まあリニューアルしたことは聞いていたが、まるでアウトレットモールのようになっていた。食堂、いやレストラン街で、食事をしたが、可もなく不可もない、まるで現代の日本人のような、のっぺらぼうな味しかしなかった。伊勢佐木町の有隣堂に寄ってから帰宅。

 市場に勤めている隠岐康氏の後輩であるT君から「島らっきょう」を送って頂いた。沖縄で買って帰ろうかとも思ったが、タイミングが悪く、買うことができなかった。そこでT君にお願いして、送って頂いた。大量の「島らっきょう」の土を落とし、薄皮をむいて下処理を済ませてから、塩漬けした。二三日で食べられるようになるそうなので、楽しみである。

 夜は、「いいちこ」をやりつつ、今日買った、文芸春秋の三月臨時増刊号の「3・11から一年。100人の作家の言葉」を読んだ。その感想は後日に。


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