七月十三日(土)晴れ。
もう土曜日か。一週間が早いなぁー。一日も早いし、一生なんてあっと言う間なんだろうな。野村先生ではないが、宇宙の悠久の営みから見れば、人の一生なんて正に「須臾」の如しだ。「須臾」とは、瞬きするほどの速さをいう。気が付けば、恥ずかしながら恩師の晩年の歳を超え、ダラダラと生きているだけだ。
出版社に送った原稿の校正が戻ってきた。いやはや誤字脱字、言葉の誤用、句読点の使い違いなど「赤」ばかりだ。ゲンナリするが、やはり専門家はするどい。もしそのまま世に出たならば、恥の上塗りをしてしまう所。感謝しなければ。ミニコンポから、夏らしくと思ってかけたCD丁度ベンチャーズ(相当古い)の「ウォーク・ドント・ラン」がかかった。「急がば廻れ」か、天啓かもしれん。
現在、弊社の機関誌「燃えよ祖国」を鋭意製作中である。本号から年内は野村先生の特集号にしたいと思っている。私の事務所には、先生が自決なされた時に報道された新聞、週刊誌、月刊誌、民族派の機関誌等がほとんど揃っている。その中から、随時、再録するつもりでいる。例えば、自決なされた歳の十二月七日の毎日新聞の「秀歌賛歌」というコーナーに歌人の佐伯裕子氏が、先生の「惜別の銅鑼は濃霧の奥で鳴る」を取り上げて、こう批評している。
「十月二十日、朝日新聞社で抗議のピストル自決をした野村秋介は、新右翼のシンボル的活動家であり、句集『銀河蒼茫』をもつ俳人であった。〈さだめなき世なりと知るも草莽の一筋の道かはることなし〉という辞世の歌を遺したが、在野の志士を強調した歌よりも、ここは俳句の方が凄味がある。経団連襲撃事件など直接行動には賛成できなかったけれど、この一句を読んで思わず心を動かされた。命を賭けて物を言う声の響きは、やはりおろそかにできないものがある。〈惜別の銅鑼〉というありふれた言葉に、〈濃霧の奥で鳴る〉と付けて納得した時、この一句が自裁へと彼の背中を押したのだ。そんな気がしてならない。」
この佐伯裕子氏とは一面識もないが、毎日新聞の「秀歌賛歌」というコーナーで取り上げて頂いたことに対して、遅ればせながら門下生を代表して御礼を申し上げる次第です。その他、「化合繊維新聞」の「毀誉褒貶」の欄では「戦闘的ナショナリストの遺書・魂なき繁栄への警告と闘争譜」と題したコラムや「文化通信」の十二月六日号の山口比呂志の文章、「図書新聞」の栗本慎一郎氏の文章など、一般の人ではあまり目にすることのない新聞に掲載された野村先生へのレクイエム・・・。いずれ皆、まとめてみたいと思っている。最新号は、「内外タイムス」が平成六年の一月十一日から二月二十五日まで二十八回にわたって連載した「野村秋介の軌跡-『自決への証言』」を掲載する。
夜は、撮り溜めていた「あまちゃん」を肴に酔狂亭で独酌。社友、同志からの酒の差し入れが有難い。「飲み過ぎには気をつけて」と書いた友から酒が届いた。