白雲去来

蜷川正大の日々是口実

このとき一盞なくんば 何をもってか 平生を叙せん。か。

2013-07-18 15:15:37 | インポート

七月十六日(火)曇り。

 久しぶりに過ごしやすい朝だ。私のような浪人の楽しみは、目が覚めると透き通るような青空が広がっていて、吹く風も心地良く、炊き上がりのご飯がある。これでもう何か得をしたような気持ちになってしまうのだから安上がりにできている。

 家族が、出払っていて我が家には私一人。風が気持ち良い。早速、今日締め切りの原稿を三本校正。ざっと書いてあるので校正だけだから気持ちは楽だ。コーヒーメーカーでコーヒーを淹れて(夏でもホツトコーヒーが好きだ)BGMは、こんな日には、先日も聞いた、シャドゥズ、ベンチャーズ、スプートニクスのギター演奏。私の世代には、夏と言えばこういった曲が似合うのではないかと思っている。ビーチボーイズも良いが、歌詞のあるものだと気が散って集中できない。やはり軽快なエレキギターがいい。しかし、「太陽の彼方」に「乗ってけ、乗ってけサーフィン」と詩をつけた人を恨むなぁー。いかにも日本的だが、波乗りのイメージが壊れて、田舎のおっさんが海で遊んでいるような気持ちになる。それでも曲がかかるとすぐに頭の中にその詩が浮かんで来るから参っちゃう。

 夕方に、カツオがないかと思って近所のスーパーを廻ったが残念だった。十回に一回ぐらいは、おおっ!と思うものに当たるので無視できないが、今日は皆はずれ。明日の水曜日は河岸が休みなので、二三日はカツオをあきらめるか。仕方がないので、夜は、頂き物の干物を肴に月下独酌。

貧乏していても、家族は皆元気で明るいし、酒は旨いし、友達にも恵まれているし(嫌な奴も何人かいるが)、ますまずか。ご支援いただいている方に感謝しつつ月下独酌。

そうそう社友で宮崎の福田さんのFBに「このとき一盞(いっさん)なくんば 何をもってか 平生を叙せん 」とあった。白楽天かぁー。漢詩は良いなぁー。「もし一杯の酒がなかったならば、何を以て平生の想いを慰め合うことができようか。」和訳すると、胸に迫らない。中国もこの時代が華ですな。

福田さんは文章も上手だし、何を書いても理論的で勉強になる。在野に福田さんのようなインテリがいることが日本と日本人の強みだとしみじみ思う。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハッピーマンデーは国体破壊の元凶。

2013-07-18 12:17:49 | インポート

七月十五日(月)晴れ。海の日。

 玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。この今日の「海の日」については、盟友のブログ「爆ちゃん吼える」に詳しく、出色なので転載させて頂く。

「今日は『海の日』になっているが本来は7月20日。明治9年、東北・北海道へ約50日に及ぶ御巡幸に臨まれた明治天皇が『明治丸』で横浜に帰港された日に因んだ記念日が『海の日』です。 御巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。

出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。

明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜された。弘前に在る『東奥義塾』では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金5円を与えられたという。

また或る地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着まで買い上げられた。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって『海の日』は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い祝日でもあるのだ。この様な由緒を持つ記念日が、『ハッピーマンデー』なる不見識な制度によって、その意味が薄れて行くのは実にもどかしい。 『ハッピーマンデー』の目的は国體破壊であり、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、日本の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのだ。この愚策に、自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは御粗末過ぎる。

国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、『勤労感謝の日(新嘗祭)』と『建国記念日(紀元節)』を『ハッピーマンデー』に組み入れることで、『連休がいい』などと安易な動機で祝日を語ることがあってはならない。我が国の祝日には夫夫意味が在り、これほど国柄の分かるものはないのだ。 GHQが我が国の歴史伝統文化を否定することから始まった現在の『祝日法』を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題だ。 『ハッピーマンデー』なんぞ百害有って一利無し!」「(爆ちゃん吼える)より」※良いブログなので是非読んでみて下さい。

事務所で新しいPに慣れるために二時まで仕事。その後愚妻と遅い昼食の後に夕食の買い物をしてから帰宅。七時、家族と楽しい夕餉。録画しておいた「八重の桜」に涙しつつ「黒霧島」が空いた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南海岸へ。

2013-07-18 12:01:34 | インポート

七月十四日(日)晴れ。

 今年初めての海へ。大行社の世田谷支部の主催する「親睦の海の家」があり出席。場所は鎌倉の由比ヶ浜。十代の頃はここがホームグラウンドだったが、歳と共に足が遠のいた。鎌倉駅からタクシーで行こうかとも思ったが、まだ時間も早いので歩いて行くことにした。

 駅を出て、鶴岡八幡宮を背にして歩く。高校生の頃は、市役所の前から関東高校駅伝がスタートした。もちろん選手ではなく付添役だったが、いつか努力すれば選手になれると思って毎日走っていた高校生の頃を思い出した。海が近づくが夏の湘南海岸は、海の香りがしない。人が多いことと海の家の乱立に原因があるのかもしれない。しかし最近の海の家は、その昔のものと隔世の感がある。葭簀を張った昔ながらの物は少なく、ほとんどがショットバーやライブハウスのような物ばかり。昭和は遠くになりにけりか。海岸に降りる道路に「さくら貝の歌」の歌碑があった。

Dscf5956

 作詞:土屋花情 作曲:八洲秀章

 美(うるわ)しき 桜貝ひとつ  去り行ける 君に捧げん
この貝は 去年(こぞ)の浜辺に  われ一人 拾いし貝よ

 ほのぼのと うす紅染むるは  わが燃ゆる さみし血潮よ
はろばろと かよう香りは  君恋うる 胸のさざなみ

 ああなれど 我が想いははかなく  うつし世の なぎさに果てぬ

 歌は1939年、作曲家の八洲秀章氏が、同海岸に打ち上げられたさくら貝を詠んだ短歌を基に、土屋花情氏が作詞したもの。八洲氏が曲を付け大ヒットした。歌碑建設を契機に海の環境問題や安全などに関連した取り組みが行われることを望んで実行委が設置した。と資料にはある。

 こういった美しい詩とメロディーの歌を義務教育の中で教えてほしいものだ。また七里ヶ浜には明治時代に逗子開成中学校の生徒十二人を乗せたボートが転覆、全員死亡した事件を歌った「真白き富士の嶺」(「七里ヶ浜の哀歌」) で知られている追悼の碑が建っている。

親しい人たちと二時過ぎまで飲んで解散。まっすぐ帰ろうかと思ったが、鎌倉まで来て小町通で和紙の専門店「社頭」を姉妹で経営している菊岡ノンコさんに挨拶をせずに素通りしては申し訳ないので、顔を出してからお店の前の蕎麦屋で遅い昼食。もうこの時点でベロベロで、何を話したのだか・・・。思い出すとぞっとする。

横須賀線に乗って、保土ヶ谷で降りるのだが、寝てしまい品川まで行ってしまった。愚妻に怒られつつ自宅に戻って、そのまま寝てしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする