白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お店は、料理よりも「人間味」が大切。

2013-07-13 11:23:10 | インポート

七月十一日(木)晴れ。

一日、座ってPCの前で仕事をしているせいか、タマタマに汗疹が出来て、痛痒い。シャワーを浴びてすぐにシッカロール(古いか)をパタパタするのだが、これには思い出がある。

子供たちが幼稚園くらいの時、風呂上りにお尻やお腹などにこの薬を愚妻がぬってあげていた。ある時、私が風呂上りに、タマタマに塗っていたのを見た子供たちが、愚妻に「とうたんがちんちんの所に塗っているのは、いつも私たちに塗っているものと同じ」と聞くので、「そうだよ」と答えたら、びぇーと泣き出した。以来、頑としてその薬を使わなくなった。私が面白がって、早く塗りなさいと言うと、ギャーッと走って逃げる。一時、風呂上りには、これが我が家の恒例の行事になった。年頃になった娘の前で、さすがにタマタマにアセシラズを塗る姿は見せないが、その薬を見ると、いつも子供が小さかった頃を思い出す。

午後から事務所で仕事。事務所のPCが新しくなってサクサク動く。データーを移しながら、色々なことをやっていると、つい仕事を忘れる。六時までいて帰宅。

夜は、近くの清水苑に愚妻と二人で行く。いわゆる「食べログ」などで様々なお店が紹介されているが、ほとんどが笑っちゃうような店ばかり。どんな人が書いているのか知らないが、様々なお店を食べ歩いて、料理の味が理解できるようになるのは五十歳を過ぎた頃からだと思う。毎日外食をしている訳でもなく、普段は大したものを食べているのではない者が、人様のお店の料理を云々するのは百年早いと思う。バシッとチップも切ったこともない癖に、いっぱしグルメを気取った連中が多いのには呆れてしまう。不味い店何てほとんどない。むしろ料理やお店は味よりも、そこのお店の人たちの「人間味」が大事だ。

美味しいなんて思って食べている肉のほとんどが「加工肉」かもしれない。お店の人たちと信頼関係を築いて、初めて美味しいと思うような物が味わえる。二三軒馴染みの店があれば十分。そういうお店の一件もない、という不明を酒飲みは恥じるべきなのである。どういうお店で、飲み食いをしているかで、大体その人が分かる。


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