白雲去来

蜷川正大の日々是口実

セミの目覚まし。

2013-08-04 07:09:44 | インポート

八月一日(木)曇り。

我が家の猫の額、いやネズミの額程度の庭?に、鳥が運んで来たのだろうか、十年ほど前から葉っぱを沢山抱えた二メートルぐらいの木が育っている。そこにミンミンゼミがとまって、何が悔しいのか、ものすごく大きな声で鳴いている。時計を見たら六時五分。もう少し寝たかったが、目覚まし代わりに起きた。雨戸を開ける気配でどこかに飛んで行ってしまったが、明日はもう一時間ほど遅く鳴いてくれよと、お願いした。もちろんセミに聞こえたかどうかは分からない。

今日は、神奈川新聞社主催の花火大会がある。若い頃なら、花火と聞くと何かそわそわしたものだが、最近は、人ごみの中に出かけて行こうとする気力がなくなった。二人の子供から誘われたなら別だが、子供たちも、居間でそれぞれのんびりとしている。

仕事から帰って来た愚妻が「花火の音が聞こえるよ。見に行かない」と言うが、誰も反応しないので、がっかりしている。私は、夕方に、伊勢佐木町に出来たスーパーで買った、とびっきりの「カツオ」があるので、早く晩酌に入りたい。読者の方から、茄子を沢山ご恵送頂いたので、今日は、茄子とひき肉の味噌炒めと茄子のおしんこ、てんぷらが夕食のメインメニュー。

麻生さんの「ナチ」発言か。そんな程度のことで、与党を責めることしかできない野党のこの体たらく・・・。を証明しているようなものだ。アホくさ。

野村先生の「夏の句」では、「独りゆく夏草の道 なほ遥か」が好きだ。この句を読むと、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」が浮かぶ。今日も一日恙なし。


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