八月六日(火)曇り。
原爆の日か。慰霊碑に書かれている「過ちは・・・」の文字を「国辱」と感じられない戦後の日本人の意識は何だ。唯一の被爆国だからこそ、日本が原爆を開発し持つことが許されるのではないか。極楽島のアホウ鳥の住む国に未来などある訳もない。
また今日は、別れた娘の誕生日。経団連事件の翌年に生まれて名付け親は野村先生だ。もう三十を過ぎているのだろうが、便りのないのは元気でいる証拠とあきらめている。
今日は、友人との打ち合わせのために東京行き。京急で乗り換えせずに目的地まで行ける。便利になったものだ。「群青忌」の案内状の見本を頂く。写真は平成五年の八月に野村先生と共に行ったカサブランカでのものだ。写真は「不肖・宮嶋」こと戦場カメラマンの宮嶋茂樹氏の撮影によるもの。野村先生は、自決の直前に親しい人たちにこの写真を送った。
はが里枝さんから私の校正原稿を頂く。直しが沢山あってビビルが、それでもさすがにプロの編集者。ナルホドという所ばかりで感謝する。
終了後は、好きな浅草の「甲州屋」というそば屋で一杯。居酒屋のようなこのお店が好きだ。以前、好きだった「酔って候えど」さんのブログにも紹介されていた。「お茶割り」を五杯ほど飲んでから錦糸町に転戦。やはり馴染みの「223」というお店に寄って日にちが変わらぬ前に帰宅。