五月五日(火)子供の日。
柱の傷はおととしの・・・。我が家の居間の柱にも子供の成長の「傷」がある。二人の子供は、今の家で生まれたので「柱の傷」も成長した分だけの数がある。二人とも一歳が最初で十四歳が最後。その後しばらく「傷」をつけていない。久しぶりに計ってみるか。
一日、機関誌の編集作業。五時過ぎには終了して「そごう」まで車を走らせた。もちろんお目当ては「カツオ」である。私の「食」のスクラップの中の「カツオ」に関する好きな逸話。
そばや酒からカボチャのような野菜まで、江戸っ子は、初物に目がなかった。なかでも「宵越しの銭は持たない」のが自慢の彼らが、「女房を質に入れても」と熱狂したのが初鰹(はつがつお)だ。文化九(一八一二)年、江戸日本橋の魚河岸に到着した初鰹には、こんな逸話がある。魚河岸から当時の人気役者、七代目市川団十郎と四代目沢村宗十郎に一本ずつ贈られた。それを知ったライバルの上方役者、三代目中村歌右衛門は残りの一本を三両、今の金額で二十七万円も奮発して手に入れ、団十郎より一足早く一座の者に振る舞った。
先を越された団十郎はよほどくやしかったのか、一生鰹を食わないと誓ったそうだ。演劇評論家の渡辺保さんはいう。「初鰹は『初』という字を買うのである。江戸っ子の、だれにもひけをとりたくないという意地っ張り、負けず嫌いな気質がそこにはあらわれている」(『芝居の食卓』柴田書店)(三年前の一月六日の「産経抄」)
しかしながら、カツオは「初」物よりも「戻りカツオ」と呼ばれる時期の物が格段と美味しい。以前、高知に大行社の西澤多賀男先生を訪ねた折に「鯨のすきやき」をご馳走になった。美味しさを通り越して、その贅沢さに恐れ入ったが、その折に出されたのがカツオの刺身。この刺身が、私の常識からかけ離れたもので驚いた。何しろ、分厚いのだ。西澤先生曰く「高知のカツオの切り方は、朴歯(注・朴の木で厚く作った足駄の歯)ぐらいの厚さで切るんだよ」。それを生のニンニクのスライスと一緒に食べる。以来、料理屋や寿司屋に行って、出されたカツオがペラペラだと、「お前ねェ-高知ではねェ-」。と能書きを垂れるようになった。倍の金を取られるのは癪だが、西澤先生の顔が浮かんでここは譲れない。
今日のカツオは、この時期では珍しく、六ポウ、七ケン程度の物にあたった。おまんら、なめたらイカンぜよ。と独りごちて、ふふふと食した。快酔なり。
柱の傷はおととしの・・・。我が家の居間の柱にも子供の成長の「傷」がある。二人の子供は、今の家で生まれたので「柱の傷」も成長した分だけの数がある。二人とも一歳が最初で十四歳が最後。その後しばらく「傷」をつけていない。久しぶりに計ってみるか。
一日、機関誌の編集作業。五時過ぎには終了して「そごう」まで車を走らせた。もちろんお目当ては「カツオ」である。私の「食」のスクラップの中の「カツオ」に関する好きな逸話。
そばや酒からカボチャのような野菜まで、江戸っ子は、初物に目がなかった。なかでも「宵越しの銭は持たない」のが自慢の彼らが、「女房を質に入れても」と熱狂したのが初鰹(はつがつお)だ。文化九(一八一二)年、江戸日本橋の魚河岸に到着した初鰹には、こんな逸話がある。魚河岸から当時の人気役者、七代目市川団十郎と四代目沢村宗十郎に一本ずつ贈られた。それを知ったライバルの上方役者、三代目中村歌右衛門は残りの一本を三両、今の金額で二十七万円も奮発して手に入れ、団十郎より一足早く一座の者に振る舞った。
先を越された団十郎はよほどくやしかったのか、一生鰹を食わないと誓ったそうだ。演劇評論家の渡辺保さんはいう。「初鰹は『初』という字を買うのである。江戸っ子の、だれにもひけをとりたくないという意地っ張り、負けず嫌いな気質がそこにはあらわれている」(『芝居の食卓』柴田書店)(三年前の一月六日の「産経抄」)
しかしながら、カツオは「初」物よりも「戻りカツオ」と呼ばれる時期の物が格段と美味しい。以前、高知に大行社の西澤多賀男先生を訪ねた折に「鯨のすきやき」をご馳走になった。美味しさを通り越して、その贅沢さに恐れ入ったが、その折に出されたのがカツオの刺身。この刺身が、私の常識からかけ離れたもので驚いた。何しろ、分厚いのだ。西澤先生曰く「高知のカツオの切り方は、朴歯(注・朴の木で厚く作った足駄の歯)ぐらいの厚さで切るんだよ」。それを生のニンニクのスライスと一緒に食べる。以来、料理屋や寿司屋に行って、出されたカツオがペラペラだと、「お前ねェ-高知ではねェ-」。と能書きを垂れるようになった。倍の金を取られるのは癪だが、西澤先生の顔が浮かんでここは譲れない。
今日のカツオは、この時期では珍しく、六ポウ、七ケン程度の物にあたった。おまんら、なめたらイカンぜよ。と独りごちて、ふふふと食した。快酔なり。