白雲去来

蜷川正大の日々是口実

高知のカツオをナメたらいかんぜよ。

2015-05-12 10:23:19 | 日記
五月五日(火)子供の日。

柱の傷はおととしの・・・。我が家の居間の柱にも子供の成長の「傷」がある。二人の子供は、今の家で生まれたので「柱の傷」も成長した分だけの数がある。二人とも一歳が最初で十四歳が最後。その後しばらく「傷」をつけていない。久しぶりに計ってみるか。

一日、機関誌の編集作業。五時過ぎには終了して「そごう」まで車を走らせた。もちろんお目当ては「カツオ」である。私の「食」のスクラップの中の「カツオ」に関する好きな逸話。

そばや酒からカボチャのような野菜まで、江戸っ子は、初物に目がなかった。なかでも「宵越しの銭は持たない」のが自慢の彼らが、「女房を質に入れても」と熱狂したのが初鰹(はつがつお)だ。文化九(一八一二)年、江戸日本橋の魚河岸に到着した初鰹には、こんな逸話がある。魚河岸から当時の人気役者、七代目市川団十郎と四代目沢村宗十郎に一本ずつ贈られた。それを知ったライバルの上方役者、三代目中村歌右衛門は残りの一本を三両、今の金額で二十七万円も奮発して手に入れ、団十郎より一足早く一座の者に振る舞った。
先を越された団十郎はよほどくやしかったのか、一生鰹を食わないと誓ったそうだ。演劇評論家の渡辺保さんはいう。「初鰹は『初』という字を買うのである。江戸っ子の、だれにもひけをとりたくないという意地っ張り、負けず嫌いな気質がそこにはあらわれている」(『芝居の食卓』柴田書店)(三年前の一月六日の「産経抄」)

しかしながら、カツオは「初」物よりも「戻りカツオ」と呼ばれる時期の物が格段と美味しい。以前、高知に大行社の西澤多賀男先生を訪ねた折に「鯨のすきやき」をご馳走になった。美味しさを通り越して、その贅沢さに恐れ入ったが、その折に出されたのがカツオの刺身。この刺身が、私の常識からかけ離れたもので驚いた。何しろ、分厚いのだ。西澤先生曰く「高知のカツオの切り方は、朴歯(注・朴の木で厚く作った足駄の歯)ぐらいの厚さで切るんだよ」。それを生のニンニクのスライスと一緒に食べる。以来、料理屋や寿司屋に行って、出されたカツオがペラペラだと、「お前ねェ-高知ではねェ-」。と能書きを垂れるようになった。倍の金を取られるのは癪だが、西澤先生の顔が浮かんでここは譲れない。

今日のカツオは、この時期では珍しく、六ポウ、七ケン程度の物にあたった。おまんら、なめたらイカンぜよ。と独りごちて、ふふふと食した。快酔なり。

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二十七年前の連休。

2015-05-12 09:49:16 | 日記
五月四日(月)晴れ。

確か城山三郎の本に「毎日が日曜日」というものがあった。まったくゴールデンウイークとかで、今日が何日の何曜日かがピンとこない。それでなくとも浪人の身で、非生産的な日々をもう何年も過ごしているので余計に日にちの感覚がない。

今日は、横浜在住の同志の方と一献会を予定していたが、急な用事が入って東京行き。赤羽で友人と会いヒソヒソ話を。その後、上野に転戦してから帰宅。我が家は、轍鮒の急である。

平成元年四月二十九日(土)(「独醒記」・獄中日記より)
昨日の網走の最高気温は何と零度。最低ではなく、最高気温なのだから私の居るところが、日本の北の果てであることを実感する。ビート畑で除雪をしていると網走名物の「能取湖おろし」の寒風が容赦なく体温を奪って行く。農耕本隊二十名の誰もがアノラックのフードを頭からすっぽり被って作業をしている。その姿が痛々しく映る。
あと二日もすれば五月だというのに、毎朝氷が張るこの網走の寒さは、我々から軽口と笑顔を奪うには充分であり、正に春とは名のみの寒さを実感している。一日中除雪の作業をしていたため、精も根も尽き果てて、ノルマの読書をしようと思っても細かい活字を追うのがとても億劫である。

娑婆では今日からゴールデンウイークの始まり。夜のニュースでは、この連休を利用して海外へ脱出する人で混雑する成田空港を映していた。当然のように我々懲役はそんな娑婆の喧騒など全く関係なく、合計七日の免業をただ腐ったマグロのようにゴロゴロして過ごすだけ。刑務所側も、そんな我々を可哀相と思ったのか、将棋大会、カラオケ大会、ビデオ観賞といった低予算の行事を用意しているそうだ。娑婆にいるのと違って、休みといっても出かけることもなく、静湖寮と名付けられた、泊まり込みの農場で、三度の食事の時以外はただゴロゴロしているのだから、これ以上の休養はないのかもしれない。もうすぐ五月だというのに、相変わらず朝は氷の張る寒さである。

昨年の九月にこの農場に転業になって以来、読書の量が半分になってしまった。十月一日から今年の四月三十日までの七ヵ月間に読んだ本の合計が百十一冊。そのうち私本が三十六冊に、いわゆる「官本」といって刑務所に備え付けの本が七十七冊。一ヵ月平均すると十六・一冊の読書をしたことになる。しかし、その百十一冊のほとんどが小説のたぐいで、本来学ばなければならない思想、宗教、哲学、評論といったものが全く読めずにいる。本所の独房の時と違って、ここの農場には二十五名の者が一同に生活しており、従ってプライバシーなどはほとんどないに等しい。更に囲碁、将棋にテレビといった誘惑とも闘わなくてはならない。だからこそこの農場にいる間は、固い本は避けて小説を徹底的に読もうと決めた。もちろん徹底的といっても月にたかが十五冊程度の量は、威張って言うほどのものではないが、ここの重労働と余暇時間では、正直言って良としなければならない。そのたかがと思った小説や娯楽書の中にも、当たり前だが様々な価値観や人生観があることを教えられた。こういった楽しみとして読んでいる本が、気が付けば「たしなみ」となっていることがある。読書とは単に活字を読むのではなく、言葉を読み、そこに書かれている志を読むことにある。とは恩師の口癖だった。

もう二十七年も前の私の「独醒記」と題した獄中日記である。だらしのない日々の中で、当時のことを思い出すために時折、日記を読み返すことがある。あーあだらくしているなぁー最近は。自分に喝だ!

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