白雲去来

蜷川正大の日々是口実

書も黴て 古き歳月そのまゝに

2015-05-20 12:39:16 | 日記
五月十五日(金)晴れ。

五・一五事件の記念日である。岐阜の花房東洋先輩が、「大夢祭」と称して追悼祭を岐阜の護国神社にて毎年行っている。参加しなければならないのだが、諸般の事情で心参。群青の会の大熊雄次氏が一門を代表して出席。

正午より、古美術商を営む同級生のが主催している古美術市場に久しぶりに顔を出す。と言ってもプロばかりが集う市場に私などが出る幕もなく、ただ様々な骨董品の競りを眺めているだけである。私のお目当ては市場の最後に競られる書画である。荒木貞夫の書が幾枚か出て欲しかったが、プロの商売を邪魔してはいけないと自制した。うーん残念だった。

終了後は事務所へ。何か五・一五事件関係の本でも読もうかとも思ったが、表紙を眺めるだけにした。そう言えば野村先生の句集『銀河蒼茫』に、「図書室にて一句」と題して「書も黴て 古き歳月そのまゝに」があるのを思い出した。今日の骨董市と書棚にある古本を眺めていて、先生のその句がぴったりと当て嵌まった。

三上卓先生の句集「無韻」を事務所から持ち帰へり、読む。表紙の裏には、三上先生の代表句「野火赤く 人渾身のなやみあり」が書いてありしばし見入ってしまった。

夕方、酒の肴を求めてスパーを覘けば、新鮮な「サンマ」が、何と一匹、八十九円で売られていた。この時期にサンマか、とちょっとためらったが六匹購入した。四匹は「蒲焼」に残りの二匹は塩焼きにして家族で楽しんだ。この時期のサンマはやはりカタカナで書くのがいいと思う。漢字で「秋刀魚」と書くと季節感に溢れ、さすがに春に食べる気がしなくなる。

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偉いやっちゃ。

2015-05-20 11:39:29 | 日記
五月十四日(木)晴れ。

今日も夏日なり。この時期に半袖で外に出かけられるのは嬉しい。午前中に来訪者有り。一時間ほど雑談。午後から事務所へ。窓を全開にして風通しを良くして本や掛け軸の虫干しをする。事務所にある椅子が座り心地が良く昼寝に適している。今日のように陽気が良いとついウトウトしてしまう。まあ大した仕事もないので昼寝をしても罪悪感にさいなまれることはない。

話は突然変わるが、作家の山本周五郎は一時期、本牧の間門と言う所の丘の上にあった間門園という旅館に居を構えて海を眺めながら執筆をしていたことがあった。現在は、埋め立てられて海などは見ることはできないが、間門園という旅館のあった丘だけが今でも残っている。若い人は、間門が海に面していたと言っても信じられないかもしれない。

その山本周五郎は二十代の頃に「日本魂」(にほんこん)と言う雑誌の編集部にいた。取材もやり小説も書いた。ある時、山本は、右翼の大御所である頭山満翁の所に談話を取りに行った。山本の問いに対して、頭山翁は「西郷(隆盛)は」そう言いかけて間があいた。三十分もそのままだったので、山本は、具合でも悪くなったのかな、と心配したら、言葉をついで「偉いやっちゃ」。頭山翁に関する逸話は多いが、私は、この時の山本周五郎の顔を想像すると、笑いがこみあげてならない。このエピソードは「帝国データバンク」の社史に載っているそうだ。山本は、大正十三年に帝国データバンクの前身である「帝国興信所」に入社した。しばらくして社長の後藤武夫が始めた日本魂社へ移籍するが、昭和三年、飲酒が過ぎるとクビになった。(『週刊文春」』平成十九年四月五日号、猪瀬直樹の「ニュースの考古学」より)

私は、「読書ノート」として、こういったエピソードを分別してスクラップをしている。「人物」「酒」「貧困」「読書」「戦」といったジャンルで新聞や雑誌の気に入った部分を切り取ってノートに貼っている。マメではないので、切り取ったものが溜まってしまい、分類する作業で一日が終わってしまうこともある。それでも趣味と実益を兼ねた低予算な勉強法でもある。

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