白雲去来

蜷川正大の日々是口実

若い頃のポスター貼り。

2015-05-08 23:24:10 | 日記
五月三日(日)晴れ。

祝日だが、さすがに民族派の端くれとしてはこの日に日の丸を掲揚する気にはなれない。今日は、国の子評論の横山孝平さんや大悲会の志村馨君たちか呼びかけ人となって東京で「反憲集会」を行っている。弊社の松本佳展君なども参加している。又、札幌では社友の梶浦直樹君たちが、西村慎吾、田母神俊雄の両先生の集会に参加している。日本中で憲法改正の運動が盛り上がって貰いたいと思っている。

その昔、確か昭和五十年頃に学純同と同じポスターを大場俊賢先生から作って頂き、横浜の町で貼っていたことがあった。当時は良い時代で、稀にパトカーなどに見つかっても見逃してくれることがままあった。一日、二百枚を目標に黙々とポスター戦を展開していた。新しい電信柱を見ると、ポスターを貼りたくてウズウズしたものだ。若かったせいもあって、我々のポスターで町を埋め尽くせば世の中が変わると本気で信じていた。深夜レストランで朝の五時まで働いて、お店のコックさんに頼んで糊を作って貰い、早朝の横浜の町をビラ貼りに出かけた。

今ではさすがにそんな元気もないし、何しろ現行犯で逮捕されると何十万もの罰金を取られると言うのだから、最近は何処の町に行っても民族派だけではなく、左翼のポスターも見かけなくなった。ある意味でさみしいことだ。

午後から若い人たちと我が家で恒例の「ガレージBBQ」でもやろうと計画していたが、諸事情で中止した。夜はおとなしく酔狂亭でちょっと飲み。※写真は当時のポスター。私がまだ「一誠」と名乗っていた頃だ。アパート住まいの超貧乏暮らしだった。

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「颯」のマスターの送別会。

2015-05-08 11:13:41 | 日記
五月二日(土)晴れ。

良い天気である。つい「夏も近づく八十八夜」と鼻歌が出る。この八十八夜の夜に摘んだ茶の葉が極上とされ、末広がりの八が重なることで縁起も良いとし、農家では特にこの日を大切にしたそうだ。

午前中は、自宅の周りの草むしり。今やっておかないと梅雨が明ける頃には大変なことになる。と言っても我が家は謙遜でなく、文字通りの陋屋(ろうおく=むさくるしく、狭い家)で本当に大雨の時などは雨の漏る「漏屋」であるから土の部分はほとんどない。愚妻と協力をして二時間ほどで終了。その後、昨年、暇つぶしにやった「家庭菜園」で使用したプランターの土を袋に小分けにして廃棄の段取り。

夜は、今月の七日にマレーシアに旅立つ「颯」のマスターの送別会が「やまと」にて行われ愚妻を伴って出席した。カメ&アコちゃんやお店は、いつものお馴染みさんで一杯だった。乾杯の音頭を取らせて頂き、皆でマスターの前途を祝した。その後、「愛福楼」に転戦して「紹興酒」を一本空けて帰宅。

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産経の紙面に瞠目した。

2015-05-08 10:36:15 | 日記
五月一日(金)晴れ。

今日から五月か。手紙の時候の挨拶で文も、五月になると行く春を惜しんで「惜春」「暮春」「晩春」となり、文字通り、「行く春を惜しむ心抑えがたく」の季節になる。この時期はなぜか心が和らぐ。暑くもなく、寒くもなく、一年の内で一番良い季節だと思う。

朝食後、新聞を読んでいたら、紙面に目が釘付けになった。終戦直後に、旧ソ連が満州において軍人や軍属、民間人をシベリアなどの強制収容所に移送し、強制労働に従事させた。厚労省によれば、その数五十七万五千人。うちシベリアで五万三千人が、モンゴルで約二千人が死亡したと言う。これはかつてナチスが行ったユダヤ人に対するホローコーストと同じ行為であると言わざるを得ない。

今日の産経新聞には、ソ連に抑留され、北朝鮮や中国北部、南樺太地域などで亡くなられた一万七二三人分の方々の名前が掲載されている。漢字表記が不明な方たちは皆カタカナで記されている。紙面六頁もだ。虚しさ、くやしさ、哀れさが交錯してしばらく動けずにいた。言うまでもないが、終戦時には日本とソ連には中立条約があった。それを一方的に破棄し、満州に侵入したソ連軍は、日本人同胞に対して暴虐の限りを尽くした。南樺太などの北方領域に侵入したのは、八月十五日以降と言うのだから呆れてしまう。敗戦国の捕虜を拘束して労働させるなどと言うのは明らかな国際条約違反。

日本人同胞の氏名が書かれた紙面に黙祷を捧げた。それにしても他の新聞はどうだったのだろうか。産経と同じようになくなられた方の氏名を掲載したのだろうか。

FB友達で同志である桑野繁樹さんがアップした物を見ていたら「富士そば」に行きたくなって、歯医者の帰りに伊勢佐木町にあるそのお店に行った。桑野さんのお勧めの「ラーメン」にしようかとも思ったが、やはり好きな「生姜天そば」にした。夕方、サティ―の「日本一」というお店で焼き鳥を買ったが、以前よりも随分味が落ちたような気がするのは私だけだろうか。

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