白雲去来

蜷川正大の日々是口実

久しぶりの本牧。

2016-02-23 17:26:56 | 日記
二月十三日(土)晴れ。

午後一時、サリー姐さんと本牧のファミレスで待ち合わせてお茶。私たちが着く少し前に、盟友の古谷喜久男夫妻がいたとのこと。サリーたちが毎年行っているハワイでのお祭りに同行する方の「エスタ」の手続きを愚妻が頼まれたことの打ち合わせ。終了後はマイカル本牧のスーパーにて買い物。

このマイカル本牧が出来た頃は、ホテルや映画館にブランドショップや大型レストランなどがあって、随分と賑わったが、いつのまにか、段々お店が撤退してしまい、寂れた感じになり、「オシャレ」な場所には程遠くなった。昔から本牧は交通が不便で、陸の孤島とも言われている。電車や地下鉄も通ってなく、まあそれが良いと言う人もいるが、車が無ければ中々買い物に行こうと言う気になれない。

本牧が輝いていたのは一九六〇年代までだ。

・・・本牧から「PX」や「シーサイド・クラブ」が消え、赤と青とで輝いていた横文字のネオンが撤退して行ったのはいつのことだろうか。ウインストンやペルメル、キャメルの煙が漂う中にバーボンのラベルが見えかくれしていた喧騒の夜はもうない。キャデイやサンダーバードのコンパーティブルを見ると市電に乗っている自分がとてもみじめに感じたが、この街と、吹く潮風が好きだった・・・。

随分前に、私の「あの頃ヨコハマ」という文章の中に、昔の本牧のことをこう書いた。

この本牧の少し先の三溪園の近くで、私が尊敬するロック・ボーカリストのチー坊さんが「ブギー・カフェ」を経営しているが、ホットドックでは酒が飲めないので、ちょっと残念である。その昔、馬車道のラタンビルの中にあった中川三郎のディスコティクで、チー坊さんがボーカルのベベズが、ジミヘンのFoxey Ladyを演奏した時の衝撃は忘れられない。もう四〇年以上も前のことだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炉端焼きの名店「花笠」で友人と対酌。

2016-02-23 17:05:48 | 日記
二月十二日(金)曇り。

愛車が法定点検のためにディラーが引き取りに来たので、久しぶりにウオーキングでもしようかとも思ったが、寒いので、どうしようかとためらっていたら、タイミング良く友人が差し入れのマックを持って来訪。仕方ねぇーなぁーと。自分に言い訳をして、よもやま話に花が咲く。

またタイミング良く、夕方になった。帰ると言う友を引き留めて、横浜の炉端焼きの名店「花笠」が弘明寺商店街にリバイバル・オープンしたので、連れだって訪問。

その昔、伊勢佐木町の一本裏通りの若葉町と言う所に「花笠」はあった。当時は、現在のオーナーの保君のお母さんが店を取り仕切っていて、いつも混んでいた。その斜め前に、やはり友人が板長をやっていた「玉の屋」という朝までやっている居酒屋があり、毎日のように通った。私が三十を過ぎたばかりの頃だからもう三十年も前のことだ。

その「花笠」は区画整理のために、地下鉄は伊勢佐木長者町の大通り公園の脇に移転した。しばらくは順調だったが、立ち飲みやもつ焼きのブームの前に、お客さんが移動し閉店。以後、オーナーの保君は、茅ヶ崎や地下鉄吉野町で小料理屋を経営したが馴染めず、これまた閉店。意を決して、初心に帰り、炉端焼きの店「花笠」を再オープンした。お店は、随分と小さくなったが、その分アットホームで話も弾み、楽しいお店となった。弘明寺商店街を南警察の方から入って、最初の路地を右に曲がるとすぐにある。お近くにお寄りの際は是非行ってみて下さい。

その「花笠」で友人氏と「黒霧島」で一杯、一杯、復一杯と飲んでから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『燃えよ祖国』の第二百十九号が完成。

2016-02-23 09:21:31 | 日記
二月十一日(木)曇り。

紀元節おめでとうございます。玄関に国旗を掲げ、神武天皇肇国の昔を偲び、橿原神宮(かしはらじんぐう)を遥拝。わが皇国の紀元は二千六百七十六年。皇孫弥栄。

午後から事務所に行き機関誌の製本。丁合機や中綴じ機を導入する前は、これをすべて友人や同志の人たちにお願いして手作業で行っていた。本当に大変な作業だった。その当時に比べたならば、随分と楽になったが、機械というものは気ままで、時々機嫌が悪くなる。なだめ、すかして、騙しだまし動かすが、機嫌が直らない時は、修理をするのだが、これが結構金がかかるから頭が痛い。

それでも機関誌を発行することが私の運動でもあり、戦いでもあるので泣き言を言ってはいられない。やるしかないのである。お陰様で夜の六時近くになって『燃えよ祖国』の第二百十九号が完成した。本号のメインは、民族革新会議の犬塚博英議長の主催する勉強会「博友会」にての講演録、「天長節に想う、中村武彦先生の尊皇絶対観」である。テープ起こしは國の子評論の横山孝平さんの手を煩わせた。お陰様で良い物が出来たと自負している。

夜は、夕食を作るのが面倒なので、久しぶりに自宅の近くの焼肉屋「清水苑」へ。絶品の「牛タン」を堪能した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッパがママカリだと。

2016-02-23 08:56:02 | 日記
二月十日(水)晴れ。

先日、本を読んでいたら岡山の名物に小魚を使った「ままかり」というものがあるのを知った。その語源は、あんまり美味しいので、ご飯が足りなくなり、隣の家にご飯を借りに行かなければならなくなる。ということから名づけられたそうだ。その小魚とは「サッパ」で、子供の頃に防波堤でアジ釣りをすると、一緒に釣れてしまう、いわゆる「外道」の魚で、針から外すとすぐに海に戻した。横浜辺りでは、誰も持ち帰らない、招かざる客ではなかった、魚なのである。

所変われば、品代わる。とは良く言ったもので、横浜辺りでは、誰も見向きもしない魚が、料理によっては、美味しくてご飯が足らなくなると言うのだから、へぇーという感じである。「この小魚をひらいて、小骨を取り、二杯酢につけて、サビを利かせて食べるのだが、これが実に美味い。イワシのようにくどからず、コハダのようにアクがなく、淡水魚でも食べるように淡白で、しかも、どこか風味ある」。とあった。

ママカリよりも、早く青葉の季節になってカツオが食いたい。というのが本音である。夜は、体を気遣って、玉ねぎのサラダ、キュウリの梅和え、わかめとキュウリの酢の物。と言ったベジタリアンに徹した。側で家族が「いつまで続くやら」。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする