二月十六日(火)晴れ。
過日、甘利大臣が会見を開き、『週刊文春』が報じた二度の五十万円の授受について認め(政治資金規正法に基づき適切に処理したと説明)たほか、事務所秘書が5五百万円の謝礼のうち三百万円を私的に費消していたことや接待を受けていたことが判明したとし、秘書の辞表を受理したとした。一方、S社社長からA秘書が電話で口裏合わせを持ちかけられていたことなども明らかにし、甘利大臣は閣僚を辞任した。
私が連載している「憂国奇人・快人伝」に、東洋のルソーと言われた中江兆民のことを書いていたら、甘利大臣やその秘書たちに是非とも読ませたいエピソードがあった。
東洋のルソーといわれ、明治を代表する思想家の中江兆民は、五十五歳の時に喉頭癌になり、医者から余命を一年半から二年と宣告された。
癌の進行は早く、呼吸もできないくらいの苦痛に苛まれたが、その病魔と闘いながら兆民は、著書『一年有半』を著した。極貧ゆえにすでに書物は売り払われ、一冊の本も手元にないまま、記憶だけで兆民は、『一年有半』を書き上げたのである。本のタイトルとなった「一年有半」が、医者から受けた余命宣告であるのは言うまでもない。
その兆民だが、貧乏をしていても男としての節は決して曲げなかった。ある時、兆民の窮状を見かねた岩崎家から大金が届けられた。兆民の親戚筋のものが岩崎家に勤めており、その男から岩崎弥太郎の弟久弥に兆民の窮状が伝わったのである。しかし、兆民は、そのお金を辞退した。その理由を手紙に託してこう書いた。
「小生の目は自身のことに関しては、涙なき性分ですが、岩崎家の用意周到なる親切とその心つくした勧説(注・ある行為をすることを説くこと)に対しては、不覚にも涙がこぼれました。ただ一面識もなき、路上の行人同様の人より贈与を受けては、君子の道において穏当ならざるところあり、よだれを流しつつ、残念やせ我慢をはって御辞退申し上げる。ただ貧乏書生の頑固を笑うべし」と。
たかが五十万円の金で(お前にあるかと言われると、面目もないが)大臣の椅子どころか政治家生命も棒に振るようなことになっては、泣いても諦めがつかないだろう。甘利大臣も、よだれを流しつつ、残念やせ我慢をはって御辞退申し上げたら、こんなことにはならなかっただろうに。自民党の若手の議員や秘書たちに、先人の志操の固さを学ばせたらどうか。
夜は、お世話になっている友人らに招待され、最近野毛に出来た「炭火焼き鳥・榊」というお店に行った。野毛には珍しく、接待で使えそうな焼き鳥屋で、激戦区の野毛に出店するのだからよほど自信があるに違いない。話が弾んで、ゆっくり料理を堪能するという訳にはいかなかったが、また行ってみたい店だ。
過日、甘利大臣が会見を開き、『週刊文春』が報じた二度の五十万円の授受について認め(政治資金規正法に基づき適切に処理したと説明)たほか、事務所秘書が5五百万円の謝礼のうち三百万円を私的に費消していたことや接待を受けていたことが判明したとし、秘書の辞表を受理したとした。一方、S社社長からA秘書が電話で口裏合わせを持ちかけられていたことなども明らかにし、甘利大臣は閣僚を辞任した。
私が連載している「憂国奇人・快人伝」に、東洋のルソーと言われた中江兆民のことを書いていたら、甘利大臣やその秘書たちに是非とも読ませたいエピソードがあった。
東洋のルソーといわれ、明治を代表する思想家の中江兆民は、五十五歳の時に喉頭癌になり、医者から余命を一年半から二年と宣告された。
癌の進行は早く、呼吸もできないくらいの苦痛に苛まれたが、その病魔と闘いながら兆民は、著書『一年有半』を著した。極貧ゆえにすでに書物は売り払われ、一冊の本も手元にないまま、記憶だけで兆民は、『一年有半』を書き上げたのである。本のタイトルとなった「一年有半」が、医者から受けた余命宣告であるのは言うまでもない。
その兆民だが、貧乏をしていても男としての節は決して曲げなかった。ある時、兆民の窮状を見かねた岩崎家から大金が届けられた。兆民の親戚筋のものが岩崎家に勤めており、その男から岩崎弥太郎の弟久弥に兆民の窮状が伝わったのである。しかし、兆民は、そのお金を辞退した。その理由を手紙に託してこう書いた。
「小生の目は自身のことに関しては、涙なき性分ですが、岩崎家の用意周到なる親切とその心つくした勧説(注・ある行為をすることを説くこと)に対しては、不覚にも涙がこぼれました。ただ一面識もなき、路上の行人同様の人より贈与を受けては、君子の道において穏当ならざるところあり、よだれを流しつつ、残念やせ我慢をはって御辞退申し上げる。ただ貧乏書生の頑固を笑うべし」と。
たかが五十万円の金で(お前にあるかと言われると、面目もないが)大臣の椅子どころか政治家生命も棒に振るようなことになっては、泣いても諦めがつかないだろう。甘利大臣も、よだれを流しつつ、残念やせ我慢をはって御辞退申し上げたら、こんなことにはならなかっただろうに。自民党の若手の議員や秘書たちに、先人の志操の固さを学ばせたらどうか。
夜は、お世話になっている友人らに招待され、最近野毛に出来た「炭火焼き鳥・榊」というお店に行った。野毛には珍しく、接待で使えそうな焼き鳥屋で、激戦区の野毛に出店するのだからよほど自信があるに違いない。話が弾んで、ゆっくり料理を堪能するという訳にはいかなかったが、また行ってみたい店だ。