白雲去来

蜷川正大の日々是口実

南の島に雪が降る。

2016-02-15 12:28:44 | 日記
二月四日(木)曇り。

朝食は、冷食の「ナポリタン」。がっかりだった。やはり玉ねぎと赤ウインナーを炒めてから、スパゲティーを入れてケチャップで味付けをする。この昔ながらの物が一番である。

加東 大介(1911年2月18日 - 1975年7月31日)と言う役者をご存じだろうか。ウイキによれば、代表作は『七人の侍』、『大番』、『南の島に雪が降る』。兄は沢村国太郎、姉は沢村貞子という芸能一家に生まれる。1933年に前進座に入り、市川莚司を名乗る。まるまるとした肢体に似ぬ精悍さで、山崎進蔵(河野秋武)、市川扇升とともに前進座の若手三羽烏として活躍する。同年には大日本自由映画プロの『段七しぐれ』で映画デビュー、その後は山中貞雄監督の『河内山宗俊』(1936年)や『人情紙風船』(1937年)などに出演し、中堅俳優の一人として広く知られるようになる。兵役を1933年に伍長勤務上等兵(後の兵長)で除隊し終えていたが、1943年に陸軍衛生伍長として応召。ニューギニア戦線で、兵士たちを鼓舞するための劇団づくりを命じられ、長谷川伸の戯曲『瞼の母』などを演じる。舞台に降る「雪」に故国を見た兵士たちの姿を描いた記録は、小説『南の島に雪が降る』に結実する。なお、その時劇団で一緒だった九州出身の僧侶が、漫画家小林よしのりの母方祖父である。戦後もたびたび彼の寺を訪れていたという。

彼の代表作の一つである「南の島に雪が降る」は私の好きな映画の一つである。直接戦争を扱ったものではないので、派手な戦闘シーンなどないが、戦争の側面を伝えるものとしては、渥美清が主演した「拝啓天皇陛下様」と共に感動する映画である。映画「南の島に雪が降る」のあらすじは、昭和18年(1943年)10月に召集を受けニューギニアに向かった。しかしそこは主力部隊から脱落し見放され、救援物資も届かない最果ての地。戦友たちは飢えとマラリアでバタバタと死んでゆく。いつ戦争が終わるかもわからない。希望が全くない。そんな過酷な状況で加東大介は、上官からの命もあり、なんと演芸分隊を立ち上げ、熱帯のジャングルの真ん中に日本の舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人など、実に個性的なメンバーと共に、彼らは公演を始める。ありあわせの布に絵を描いて衣装を作り、ロープをカツラにし、亜鉛華軟膏を塗りたくり白粉にする。いまその舞台を見たら、なんと粗末な舞台だと思うだろう。しかしいつ帰れるかもわからない日本兵にとって、それは夢だった。希望そのものだった。女形の内股の白さに女房を思い、小道具の長火鉢に日本を思う。その舞台を見るまでは死ねない。時には重病人を回復させるまでもの希望が、その舞台にはあった。

その映画の原作は、加東 大介の同名の手記(ちくま文庫)から発売されている。昭和36年に公開された映画もレンタルビデオショップなどにあるので是非ご覧いただきたい。その映画のリメイク版が平成7年に「桜チャンネル」の水島総氏によって作られた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏料理。

2016-02-15 11:43:55 | 日記
二月三日(水)晴れ。

朝食は、マルシンのハンバーグ、赤ウインナー、目玉焼きにセブンイレブンで買ったマカロニサラダ、そしてキャベツの千切り。最高の昭和のメニューである。天気は良いし、朝食は美味いし、懐具合が悪くとも、とりあえずは幸せ気分を味わえる。食べることばかりで申し訳ないが、横浜には焼き鳥屋は星の数ほどあるが「鳥料理」の専門店が、私の知る限りではほとんどない。(誰か知っていたら教えてね)たまに水炊きなどを食べたくなると、仕方がないので自分で作るようにしている。

鶏料理の名店と言えば、横浜ではないが、新橋駅のすぐ近くにある「末げん」と新宿の水炊きの「玄海」が頭に浮かぶ。「玄海」へはもう何度も行ったことがあるが、近年、仲居の接客の質が落ちて足が遠のいた。「末げん」には、二度ほど行ったことがある。古い店の時と、ビルの中に入った新しい店と、それぞれ一度づつ。この鳥割烹の「末げん」は、三島由紀夫先生が、昭和四十五年十一月二十五日に、当時の自衛隊の東部方面総監室において森田必勝烈士と共に自決する前日に食事をした店としても有名である。嵐山光三郎の『文士の料理店』(新潮文庫)に、その「末げん」が紹介されている。

「『末げん』は明治四十二年(一九〇九)に開業した鳥料理店で、原敬首相や六代目菊五郎が愛用してきた老舗である。そのころは間口九間、黒塀の粋な料理店だった。いまはビルとなり、旧店舗の木材を使用した店舗になっている。店の隣は烏森神社で、このあたりは焼き鳥屋が多く、夕暮れともなれば鳥を焼く匂いがたちこめて、サラリーーマンがちょいと一杯飲みにくる盛り場だ。そのなかで「末げん」は高級鶏肉と鴨を使った篤実な料理店で、いまなお三島を慕う文学青年がやってくる。三島一行が食べたのは、鳥刺しや鴨ロースのあとに鳥鍋が出るコース料理だった」。

そう言えば、私の好きな「やまと」も冬の間は、裏の小座敷で鳥鍋をやっている。ひさしく「やまと」の鍋を囲んでいないので、言ってみるかな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする