二月五日(金)晴れ。
今日から三泊四日で伊豆高原へ断食に行く。この断食に行くきっかけは盟友のO氏が私の体を心配して誘ってくれたのが最初である。日記を見れば九年前の平成十九年のこと。その頃の私は、不摂生がたたって体重が三桁に届く寸前だった。血圧、血糖値、ガンマの数値も最悪で、医者から「アンタ、ヤバイよ」と太鼓判を押されてしまった。それを知ったO氏が、自身の健康のために通っていた断食に誘ってくれたのである。
当時は一週間。断食と言っても完全断食は二日間ぐらいで、あとは徐々に「おもゆ」や「おかゆ」などの回復食を食べて過ごす。断食と言うと何か「道場」のような施設で修行に近いものを想像する人が多いが、私が行った所は、伊豆高原の別荘地にある温泉ペンションのような施設である。一日一回、治療と称したエステがあり、「吸い玉」「電気治療」「オイルマッサージ」「マッサッージ」「針治療」などをほぼ毎日行う。朝食と夕食の時間以外は、すべて自由時間であるから、我慢が出来ない人は、こっそり食事をしたって構わない。要は個人の意思の問題なのである。
自由時間は何をして過ごしたかと言えば、伊豆の海を見ながらのウォーキングや近くにあるDHCの施設の五十メートルのプールでの水泳。あるいは伊豆高原に沢山ある美術館巡りなどをして心と体をリフレッシュする。最初は、閑があるから本を沢山読もうと思って、ドサッと持って行ったが、お腹が空いていると本を読もうと言う気にならずに、一週間で三冊がやっとだった。O氏の指導の甲斐あって、一週間で何と七・五キロも体重が落ちた。断食の先生のアドバイスを守ってその後も頑張っていた。しかし半年ぐらい経つと、その頑張りの思考がプチッと切れて、リバウドを繰り返す、ということが三年ぐらい続いたが、ようやく体が慣れてきて全盛期のヤバイ時の体重より十五キロ減を維持している。まあそれでももう少し体重を落として夢の七十キロ台までにしてみようかと思っている。
伊豆の海を見ながら熱海へ。0氏をピックアップして伊豆高原の宿へ。簡単な問診を受けたら治療と夕食。夕食と言っても酵素ジュース一杯のみである。中々寝付かれないので、自宅から持って来たDVDを二本見てから寝た。
今日から三泊四日で伊豆高原へ断食に行く。この断食に行くきっかけは盟友のO氏が私の体を心配して誘ってくれたのが最初である。日記を見れば九年前の平成十九年のこと。その頃の私は、不摂生がたたって体重が三桁に届く寸前だった。血圧、血糖値、ガンマの数値も最悪で、医者から「アンタ、ヤバイよ」と太鼓判を押されてしまった。それを知ったO氏が、自身の健康のために通っていた断食に誘ってくれたのである。
当時は一週間。断食と言っても完全断食は二日間ぐらいで、あとは徐々に「おもゆ」や「おかゆ」などの回復食を食べて過ごす。断食と言うと何か「道場」のような施設で修行に近いものを想像する人が多いが、私が行った所は、伊豆高原の別荘地にある温泉ペンションのような施設である。一日一回、治療と称したエステがあり、「吸い玉」「電気治療」「オイルマッサージ」「マッサッージ」「針治療」などをほぼ毎日行う。朝食と夕食の時間以外は、すべて自由時間であるから、我慢が出来ない人は、こっそり食事をしたって構わない。要は個人の意思の問題なのである。
自由時間は何をして過ごしたかと言えば、伊豆の海を見ながらのウォーキングや近くにあるDHCの施設の五十メートルのプールでの水泳。あるいは伊豆高原に沢山ある美術館巡りなどをして心と体をリフレッシュする。最初は、閑があるから本を沢山読もうと思って、ドサッと持って行ったが、お腹が空いていると本を読もうと言う気にならずに、一週間で三冊がやっとだった。O氏の指導の甲斐あって、一週間で何と七・五キロも体重が落ちた。断食の先生のアドバイスを守ってその後も頑張っていた。しかし半年ぐらい経つと、その頑張りの思考がプチッと切れて、リバウドを繰り返す、ということが三年ぐらい続いたが、ようやく体が慣れてきて全盛期のヤバイ時の体重より十五キロ減を維持している。まあそれでももう少し体重を落として夢の七十キロ台までにしてみようかと思っている。
伊豆の海を見ながら熱海へ。0氏をピックアップして伊豆高原の宿へ。簡単な問診を受けたら治療と夕食。夕食と言っても酵素ジュース一杯のみである。中々寝付かれないので、自宅から持って来たDVDを二本見てから寝た。