一月二十八日(木)晴れ。
最近、といってももう二十年以上にもなるだろうか、私の場合「酒」と言えば、ほとんどが「焼酎」である。日本酒はめったに飲まなくなった。別に嫌いという訳ではなく、どちらかと言えば好きな方だが、飲み過ぎてしまうのだ。冬の寒い日に、白楽天ではないが「林間に紅葉を焼いて酒を暖める」などといった風情からは程遠いが、ストーブの上に薬缶を置いて、その中で酒をアルミのカップに入れて燗をする。これが美味しくて、好きな映画を見ながらチビリ、チビリから始まってぐびぐび、がぶがぶになって気がつくと一升瓶の中には二合程度しか残っていない。これじゃ身体に悪いからと自制した。最も医者から糖尿の気があると言われたことも日本酒から焼酎にシフトするきっかけとなったのも事実である。
酒飲みならば知らない人はいないだろうが、新潟は魚沼の蔵元の酒に「上善如水」(じょうぜんみずのごとし)という酒がある。
「上善」とは、もっとも理想的な生き方。そういう生き方をしたいと願うなら、水のあり方に学べというのである。水には、学ぶに足る特徴が三つある。まず第一に、きわめて柔軟であること。四角なものに入れれば四角な形になるし、丸い器に入れれば丸い形になる。器なりに形を変えて、少しも逆らわない。第二に、低い所に身を置くのは誰でもいやがることだが、水は、人のいやがる低い所、低い所へと流れていく。つまり、すこぶる謙虚である。自分の能力や地位を誇示しようとしない。第三に、ものすごいエネルギーを秘めている。急流ともなれば、固い岩石をも打ち砕いてしまう。このように、水は柔軟、謙虚、秘めたるエネルギーの三つの特徴をもっている。人間もそれを身につけることができれば、理想の生き方に近づけるのだという。
しかし、「糖質」に気を遣っている身としては、やはり今夜も「黒霧」にしますかな。
最近、といってももう二十年以上にもなるだろうか、私の場合「酒」と言えば、ほとんどが「焼酎」である。日本酒はめったに飲まなくなった。別に嫌いという訳ではなく、どちらかと言えば好きな方だが、飲み過ぎてしまうのだ。冬の寒い日に、白楽天ではないが「林間に紅葉を焼いて酒を暖める」などといった風情からは程遠いが、ストーブの上に薬缶を置いて、その中で酒をアルミのカップに入れて燗をする。これが美味しくて、好きな映画を見ながらチビリ、チビリから始まってぐびぐび、がぶがぶになって気がつくと一升瓶の中には二合程度しか残っていない。これじゃ身体に悪いからと自制した。最も医者から糖尿の気があると言われたことも日本酒から焼酎にシフトするきっかけとなったのも事実である。
酒飲みならば知らない人はいないだろうが、新潟は魚沼の蔵元の酒に「上善如水」(じょうぜんみずのごとし)という酒がある。
「上善」とは、もっとも理想的な生き方。そういう生き方をしたいと願うなら、水のあり方に学べというのである。水には、学ぶに足る特徴が三つある。まず第一に、きわめて柔軟であること。四角なものに入れれば四角な形になるし、丸い器に入れれば丸い形になる。器なりに形を変えて、少しも逆らわない。第二に、低い所に身を置くのは誰でもいやがることだが、水は、人のいやがる低い所、低い所へと流れていく。つまり、すこぶる謙虚である。自分の能力や地位を誇示しようとしない。第三に、ものすごいエネルギーを秘めている。急流ともなれば、固い岩石をも打ち砕いてしまう。このように、水は柔軟、謙虚、秘めたるエネルギーの三つの特徴をもっている。人間もそれを身につけることができれば、理想の生き方に近づけるのだという。
しかし、「糖質」に気を遣っている身としては、やはり今夜も「黒霧」にしますかな。