白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村先生の遺言。

2017-10-03 16:16:25 | 日記
十月一日(日)晴れ。

マスコミは選挙一色。元アイドルで最近は熟女タレントして人気を博している女優、忙しさの中で「週四逢瀬」の絶倫女政治家、「このハゲェー」の政治家の話題も皆すっ飛んでしまった。北朝鮮危機もだ。何でも、希望の党に合流できない枝野幸男氏が「立憲民主党」を結成するとか。随分と時代がかった党名だなぁー。伊藤博文が自ら総裁として結党したのが「立憲政友会」。まさか、これにヒントを得て命名した訳ではあるまい。

私のフェイスブックの「友達」が、指摘していたのが、野村先生の遺著となった『さらば群青』の中の一文。ちょっと長いがそれを掲載してみたい。

四月某日ー加藤登紀子女史が、自分の亭主をたてて「希望」という新党をおこし、政界に打って出るという。僕は彼女のファンの一人なのだが、どうして日本人というのは、希望だとか、平和だとか、豊かさだとか、口ざわりのいい言葉ばかり掲げていこうとするのか。宮沢総理も「生活大国を目指す」などと寝ぼけたことを言っている。はっきり言っておく。日本にはもう明日などない。あるのは絶望と崩壊。日本は古代ローマの衰亡過程と同じ軌跡を辿っている。政治家は土下座政治をし、国は土下座外交をし、青年は希望をもてず、尾崎豊の死に総毛立って涙している。
経済大国も平和も希望も空論だ。いまこそ必要なのは、詭弁を弄さず、明日の日本の絶望をしっかりと見すえ、現代の飽食と肥満した社会に身を投じる青年、言ってみれば、高杉晋作、坂本龍馬のような青年群像が求められているのではないか。もう、いいかげんに目を覚ますべきだ。

これは、当時赤坂にあった野村事務所と二十一世紀書院で発行していた『燃えよ祖国』の中のコラムである。晩年の野村先生は、良く私に「俺は、明日の日本を見たくない」と仰っていた。最近、先生のその言葉を良く思い出す。

良い天気の日曜日。運動をかねて、愚妻とバスで関内駅まで行き、そこから歩いて中華街へ向かった。横浜スタジアムは、ベイスターズと広島カープの試合があるのだろう。ブルーとレッドのユニフォームを着た人たちで賑わっていた。中華街では、群青忌の直会の場所となる均元楼に昼食を兼ねてご挨拶に伺った。その後「安記」へ。カメちゃんが合流。軽く飲んだのちに、赤レンガ倉庫、みなとみらいと歩いて、桜木町の「すずらん」へ。そこから、「やまと」で仕上げ。良く歩いて、良く飲んだ。

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