白雲去来

蜷川正大の日々是口実

原発ゼロの是非。

2017-10-05 13:03:40 | 日記
十月三日(火)晴れ。

「しじみ習慣」のせいでもなかろうが、とりあえず朝はガバッと起きた。健さんの「日本残侠伝」の二番煎じの「残尿伝」もなく、ガラガラっと雨戸を開けると、秋の朝の陽ざしに包まれて気持ちいい。朝食は、アコウダイの粕漬、清風楼の焼売、白滝のおでん。昼は無し。夜は、カツオ、カボチャの煮物、粗挽きウインナー。お供は「黒霧島」。

「希望の党」の選挙公約に「原発ゼロ」がある。まあ私も、本音を言えば、この狭い日本で、また災害があれば大きな被害を誘発する原発は、徐々にフェードアウトをしていかなければならないと思っている。しかし、今「原発ゼロ」を言うならば、原発に代わるエネルギーはどうするのかも同時に明記しなければ片手落ちではないのか。

我が家も、そのうちに屋根の修理が終ったならば、太陽光パネルを設置して、「売電」なんかする気持ちはないが、現在の自宅の電気を太陽光パネルで賄えないものかと、検討中である。私は、専門家ではないので、果たして実現が可能か分からないが、例えば、これからの新築の家やマンション、公共の施設に太陽光パネルを設置することを義務付けたらどうかと思っている。個人の家には、ある程度の補助をしてあげたらいい。そのうちに、パネルではなく、ペンキを塗るだけで発電するようなものが出来るかもしれない。電力の消費が多少は抑えられるかもしれない。

テレビを見ていたら、「メガソーラー」に関する騒動が、各地で起こっていることを知った。メガソーラーを設置するために、森林を伐採し、整地する過程で、環境が変わってしまった。防風林の役目をしていた木が伐採され、民家のある場所に強風が吹くようになり、屋根の瓦が吹き飛ばされたりなどの被害が出るようになった。また私が断食に行く近くの伊豆の山に、メガソーラーの設置が計画され、そのための造成で、環境が変わることを危惧した住民が反対運動を起こしている。確かに、電力も大切だが、美しい自然を破壊して、太陽光パネルを敷き詰めることが、果たして、国民の幸せにつながるのだろうか。原発ゼロ。耳触りは良いが、一体、代替エネルギーは何に頼るのかを、聞きたいものだ。

一日中、そんなことを考えている訳ではないが、今日は、一時間ほど歩いてから、夜は、酔狂亭で月下独酌。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする