白雲去来

蜷川正大の日々是口実

灯火親しむべし

2017-10-18 11:19:18 | 日記
十月十七日(火)小雨後に晴れ。

参った、昨夜の酒が残りおり不快なり。慌てて「しじみ習慣」を飲むが、焼け石に水か。昨日紹介した「合同歌集ー国風」の中の阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」が脳裏をよぎる。といっても、「数知れぬ過失」は若い頃のことで、最近は、飲むとすぐに眠くなり、「過失」を犯す体力もなくなった。

蕎麦好きの友人と、昼食の約束をしてあった。二日酔い気味なので、朝食は食べずに、友人と横浜では、老舗(大正九年創業)の蕎麦屋、平沼の「田中屋」に行く。私の好きな「角平」は火曜日は休みである。このお店の一押しメニューは「きざみ鴨せいろ」。昼間はお店が混み合うので、「蕎麦前」は遠慮して、さっと食べて店を出た。蕎麦屋で酒を飲むことを教えて頂いたのは、岐阜の花房東洋先輩である。

秋の長雨と言うが、こう連日雨ばかりだと嫌になる。浪人暮らしの身としては、せめて天気ぐらいパァーっと晴れて貰いたいものだ。しかし、老いたるとはいえ民族派運動の末席を汚す者の一人として、こういった長雨の日は、本来は読書に専念すべきなのだ。中唐の詩人、韓愈の「符読書城南」が出典の「灯火親しむべし」には、時、秋にして積雨(せきうー降り続く雨。長雨)霽(はれー雨がやんで、空がすっきり晴れる)、新涼(しんりょうー秋のはじめの涼しさ)郊墟(こうきょー郊外の丘陵地。墟は丘)に入いる。灯火(とうか)稍(ようやく)親む可べく、簡編(かんぺんー書物)巻舒(けんじょー巻いたり広げたりする)す可べし。

早い話が、秋の夜は灯火の下で読書をするのにふさわしい。ということ。先日購入した、ほんの少しばかりご縁のある、映画監督の中村高寛さんが上梓した『ヨコハマメリー・かつて白化粧の娼婦がいた」(河出書房新社)でも読むとするか。

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白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は。

2017-10-18 10:16:14 | 日記
十月十六日(月)雨。

十月の半ばだと言うのに、まるで冬になったような寒い日。こんな日は、湯豆腐などを肴に、「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり」と牧水の歌など口ずさみながら、燗酒を湯のみに入れて、飲んでみたいものだ。燗酒と言えば、すぐに頭に浮かぶのが、元楯の会の阿部勉さんの辞世?の歌だ。「われ死なば火にはくぶるな『栄川』の二級に浸して土に埋づめよ」。阿部さんは、平成十一年の十月十一日に、五十三歳と言う若さで亡くなられた。生きておられたら七十二歳か・・・。先日、阿部さんの次女の方から「家族会をしたいので中華街のお店を紹介して頂きたい」という連絡があって、馴染みのお店を紹介させて頂いた。皆さんお元気な様子で安心した。

阿部さんの歌が掲載されているのは「合同歌集ー国風」(展転社刊)は、平成十年に発売された。企画したのは、森田忠明氏で杉田幸三先生が監修された。短歌を投稿した八十五名の中に、私の拙い歌も掲載されている。昨年亡くなられた本渡諏訪神社の大野康孝さんの、「ふるさと夕景」と題した歌は、「天草洋のひかりうるはし天地を響(とよ)もすばかり赫々と染む」。その昔、大野さんを訪ねて天草に旅したことが懐かしく思い出されてならない。

私が発行している『燃えよ祖国』の今月号の巻頭文「北朝鮮の『ICBM発射』と『水爆実験成功』は何をいみするか」を書いて頂いた、西村修平さんも「時の鏡」と題した歌を掲載している。私が好きなのは、「歳月の隔たり越えてよみがへる時の鏡に映る面影」「時を経てなほセーラー服の面影を熟女のいまに名残とどむる」「少年のわが夏逝けりふる里のその砂浜を娘が駆けゆく」。など。

夜は、月に一度の名前だけは立派な「蜷川政経懇」という飲み会を関内のHIROにて開催。久しぶりに狭斜の巷で酔う。その後、有志にて一軒転戦してから帰宅。

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獅子身中の虫。

2017-10-18 09:39:16 | 日記
十月十五日(日)小雨。

いやー、イッキに冬になったようだ。しかし、まだ冬物を出していないので、慌てて、厚めのジャージを出して部屋着にした。寒い時の朝食は、豚汁、アコウダイの粕漬、ナス炒め。

新聞によると、神戸製鋼所は、十月月八日、検査の未実施やデータ改ざんの製品の納入先は約二百社と公表。だが、十一日には鉄粉事業や子会社でもデータ改ざんがあり七十社増えた。さらに十三日の会見では、その後の調査で約五百社に膨らんだことを明らかにした。同時に、データ改ざんに関わった製造会社名や出荷重量も公表(表参照)した。出荷した製品は最終的に国内外の自動車メーカーや鉄道、航空機などで使用されている。メーカー名公表の意図を問われた川崎社長は、出荷先や最終納入先の名前名は「複雑なサプライチェーンの中で加工され、どういった中で消費者の手に渡っているかわからない。取引上の守秘義務もあり公表できない」と語るにとどめた。

一体何やってんの!「喝だ」と怒鳴りたくもなる。こういった会社の体質が、単に神戸製鋼だけの信用の失墜に留まらず、物作りに携わる日本のすべての企業の信用の失墜にもつながりかねない。恐らく、歴代の社長は、繰り返されてきたデーターの改ざんを知っていたと思う。所詮はサラリーマン社長。知っていたにもかかわらず、自分が社長でいる時は、知らんふりをして、上手く引き継ごう。ぐらい思っていたのに違いあるまい。自分が意識せずとも、こういう連中を国家の獅子身中の虫という。天罰が下れば良いと思うのは、私だけではあるまい。

今日は、国粋青年隊の結成五十周年が都内のレストランであり、大熊雄次氏やO氏と共に出席。国粋青年隊とは、結成直後より共に運動をしてきた。会場に行けば、まるで同窓会のような雰囲気の中で、思い出話に花が咲いた。伝統のある国粋青年隊の吉岡会長はじめ隊員の皆さんの益々のご隆盛を祈念して会場を後にした。

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