十月十七日(火)小雨後に晴れ。
参った、昨夜の酒が残りおり不快なり。慌てて「しじみ習慣」を飲むが、焼け石に水か。昨日紹介した「合同歌集ー国風」の中の阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」が脳裏をよぎる。といっても、「数知れぬ過失」は若い頃のことで、最近は、飲むとすぐに眠くなり、「過失」を犯す体力もなくなった。
蕎麦好きの友人と、昼食の約束をしてあった。二日酔い気味なので、朝食は食べずに、友人と横浜では、老舗(大正九年創業)の蕎麦屋、平沼の「田中屋」に行く。私の好きな「角平」は火曜日は休みである。このお店の一押しメニューは「きざみ鴨せいろ」。昼間はお店が混み合うので、「蕎麦前」は遠慮して、さっと食べて店を出た。蕎麦屋で酒を飲むことを教えて頂いたのは、岐阜の花房東洋先輩である。
秋の長雨と言うが、こう連日雨ばかりだと嫌になる。浪人暮らしの身としては、せめて天気ぐらいパァーっと晴れて貰いたいものだ。しかし、老いたるとはいえ民族派運動の末席を汚す者の一人として、こういった長雨の日は、本来は読書に専念すべきなのだ。中唐の詩人、韓愈の「符読書城南」が出典の「灯火親しむべし」には、時、秋にして積雨(せきうー降り続く雨。長雨)霽(はれー雨がやんで、空がすっきり晴れる)、新涼(しんりょうー秋のはじめの涼しさ)郊墟(こうきょー郊外の丘陵地。墟は丘)に入いる。灯火(とうか)稍(ようやく)親む可べく、簡編(かんぺんー書物)巻舒(けんじょー巻いたり広げたりする)す可べし。
早い話が、秋の夜は灯火の下で読書をするのにふさわしい。ということ。先日購入した、ほんの少しばかりご縁のある、映画監督の中村高寛さんが上梓した『ヨコハマメリー・かつて白化粧の娼婦がいた」(河出書房新社)でも読むとするか。
参った、昨夜の酒が残りおり不快なり。慌てて「しじみ習慣」を飲むが、焼け石に水か。昨日紹介した「合同歌集ー国風」の中の阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」が脳裏をよぎる。といっても、「数知れぬ過失」は若い頃のことで、最近は、飲むとすぐに眠くなり、「過失」を犯す体力もなくなった。
蕎麦好きの友人と、昼食の約束をしてあった。二日酔い気味なので、朝食は食べずに、友人と横浜では、老舗(大正九年創業)の蕎麦屋、平沼の「田中屋」に行く。私の好きな「角平」は火曜日は休みである。このお店の一押しメニューは「きざみ鴨せいろ」。昼間はお店が混み合うので、「蕎麦前」は遠慮して、さっと食べて店を出た。蕎麦屋で酒を飲むことを教えて頂いたのは、岐阜の花房東洋先輩である。
秋の長雨と言うが、こう連日雨ばかりだと嫌になる。浪人暮らしの身としては、せめて天気ぐらいパァーっと晴れて貰いたいものだ。しかし、老いたるとはいえ民族派運動の末席を汚す者の一人として、こういった長雨の日は、本来は読書に専念すべきなのだ。中唐の詩人、韓愈の「符読書城南」が出典の「灯火親しむべし」には、時、秋にして積雨(せきうー降り続く雨。長雨)霽(はれー雨がやんで、空がすっきり晴れる)、新涼(しんりょうー秋のはじめの涼しさ)郊墟(こうきょー郊外の丘陵地。墟は丘)に入いる。灯火(とうか)稍(ようやく)親む可べく、簡編(かんぺんー書物)巻舒(けんじょー巻いたり広げたりする)す可べし。
早い話が、秋の夜は灯火の下で読書をするのにふさわしい。ということ。先日購入した、ほんの少しばかりご縁のある、映画監督の中村高寛さんが上梓した『ヨコハマメリー・かつて白化粧の娼婦がいた」(河出書房新社)でも読むとするか。