十月五日(木)曇り後晴れ。
何とか、今週中に連載させて頂いている原稿や、どうしても書かなければならない物を終わらしてしまおうと、早起きをして机に向かう。しかしながら、無教養で親指の先程度(見たことはないが)の脳みそしか持ち合わせていない私は、少し書くと、コーヒーを淹れたり、新聞を読んだりして集中が出来ない。もともと遅筆であることに加えて、才能が無いものだから、遅々としてはかどらない。アジャパー。ちょっと古いか。
安倍総理、小池百合子、枝野幸男の三人ばかりが注目されて、後の政党や代表者は、全く蚊帳の外、という印象を受ける。これは私の個人的な感想だが、前述の、安倍、小池、枝野、に加えて民進党をぶっ壊した前原の諸氏に共通することは、人の意見に余り耳を貸さず、自己中心的で、常に自分が強くありたいと思っている。それが全て悪いこととは思わないが、私は、勝手に、そう思っている。
守屋洋の『中国古典・一日一言』という本の中に、『荀子』の、「国のまさに興(おこ)らんとするや、必ず師を貴びて傅(ふ)を重んず」(国将興、必貴師而重傅)という言葉があって、安倍総理、小池百合子、枝野幸男、前原誠司の諸氏の顔が浮かんだ。
「師」と「傅(ふ)」を合わせて「師傅」(しふ)という。尊敬するに足る相談相手、補導役である。国を興すようなトップには必ずそういう相手がついていたというのだ。中国三千年の歴史を見ても、たしかにそれは言えるように思う。たとえば漢の高祖劉邦には張良という名軍師がついていたし、また、宋の太祖趙匡玲には趙普、明の太祖朱元璋には劉基という名補佐役がついていた。トップの功業は、これらの軍師や補佐役の助けなしには不可能であったと言ってよい。では、功業を成し遂げるトップに、なぜ「師傅」が必要なのか。『荀子』によれば、そういう人物がついていなければ、「人、快あり」だからだという。「人」とはトップ、「快あり」とは自分かってなことをするという意味だ。つまり、トップの自重自戒を促すうえで、必要なのだという。してみると、「自重自戒」できないトップには、この「師傅」が不在であるにちがいない。
最も、その『荀子』が言う所の「師傅」も、価値があるときは大事にされ、なくなれば簡単に捨てられ、敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣であっても不要になって、殺されることが中国の歴史の中には多々ある。よって、その故事から「狡兎(こうと)死して走狗烹(そうくに)らる」という言葉が生まれた。やっぱりトップに立つしかないか。
何とか、今週中に連載させて頂いている原稿や、どうしても書かなければならない物を終わらしてしまおうと、早起きをして机に向かう。しかしながら、無教養で親指の先程度(見たことはないが)の脳みそしか持ち合わせていない私は、少し書くと、コーヒーを淹れたり、新聞を読んだりして集中が出来ない。もともと遅筆であることに加えて、才能が無いものだから、遅々としてはかどらない。アジャパー。ちょっと古いか。
安倍総理、小池百合子、枝野幸男の三人ばかりが注目されて、後の政党や代表者は、全く蚊帳の外、という印象を受ける。これは私の個人的な感想だが、前述の、安倍、小池、枝野、に加えて民進党をぶっ壊した前原の諸氏に共通することは、人の意見に余り耳を貸さず、自己中心的で、常に自分が強くありたいと思っている。それが全て悪いこととは思わないが、私は、勝手に、そう思っている。
守屋洋の『中国古典・一日一言』という本の中に、『荀子』の、「国のまさに興(おこ)らんとするや、必ず師を貴びて傅(ふ)を重んず」(国将興、必貴師而重傅)という言葉があって、安倍総理、小池百合子、枝野幸男、前原誠司の諸氏の顔が浮かんだ。
「師」と「傅(ふ)」を合わせて「師傅」(しふ)という。尊敬するに足る相談相手、補導役である。国を興すようなトップには必ずそういう相手がついていたというのだ。中国三千年の歴史を見ても、たしかにそれは言えるように思う。たとえば漢の高祖劉邦には張良という名軍師がついていたし、また、宋の太祖趙匡玲には趙普、明の太祖朱元璋には劉基という名補佐役がついていた。トップの功業は、これらの軍師や補佐役の助けなしには不可能であったと言ってよい。では、功業を成し遂げるトップに、なぜ「師傅」が必要なのか。『荀子』によれば、そういう人物がついていなければ、「人、快あり」だからだという。「人」とはトップ、「快あり」とは自分かってなことをするという意味だ。つまり、トップの自重自戒を促すうえで、必要なのだという。してみると、「自重自戒」できないトップには、この「師傅」が不在であるにちがいない。
最も、その『荀子』が言う所の「師傅」も、価値があるときは大事にされ、なくなれば簡単に捨てられ、敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣であっても不要になって、殺されることが中国の歴史の中には多々ある。よって、その故事から「狡兎(こうと)死して走狗烹(そうくに)らる」という言葉が生まれた。やっぱりトップに立つしかないか。