白雲去来

蜷川正大の日々是口実

アルバムかハードディスクか。

2018-11-02 13:50:44 | 日記
十月二十六日(金)晴れ。

私のブログやフェイスブックに写真を貼り付けようと思うと、その写真が事務所に置いてあるアルバムの中にあることに気が付いて諦めてしまう。愚妻と二人暮らしをしている頃は、部屋も広く感じたが、二人の子供が大きくなるにつれて荷物が増え、かさばる写真アルバムを事務所に片づけた。今は、デジタルが主流で、写真をほとんどアルバムに貼ると言うことが無くなった。パソコンの中に入れておくのと、アルバムとどちらが便利なのか・・・。

昔は、旅の思い出のアルバムを眺めながら、一杯やる、と言うのも楽しみだったが、最近ではそんな楽しみもなくなった。考えてみれば、単にズボラを決め込んでいるのかもしれない。

スマホが便利になり、旅に出ても、ほとんどデジカメを持って行かない。今私が持っているデジカメは、古くて、ある時、一緒に行った友人のスマホで撮った写真を見て、私のデジカメで撮ったものよりも格段にきれいに写っていた。それがショックで、ガラ系からスマホに換えた。すると、SDカードに保存されるので、パソコンのハードディスクに入れてしまうと、まず現像をしない。不便を感じる時は、どこのホルダーに入れたかが分からなくなることが、ままあることだ。どうにかしなければと、思いつつ、時は流れて行く。

夜は、「やきまる」を使って「焼肉」と大根サラダ。「黒霧島」をお供に、酔狂亭で月下独酌。

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厄介な隣人。

2018-11-02 13:05:41 | 日記
十月二十五日(木)曇り。

過日、大東亜戦争末期に「高座海軍工廠(こうしょう)」(座間市、海老名市)で戦闘機などの製造に当たった台湾の少年工が来日して今年で七十五年となる節目を記念し、元少年工でつくる「台湾高座会」の歓迎大会が十月二十日、かつて寄宿舎のあった大和市であり、関係者六百人が旧交を温めた。また座間市内の公園に建立される台湾少年工を讃える顕彰碑の除幕式が行われ、大和市内で歓迎式典が行われた。(展転社発行・『台湾少年工と第二の故郷』に詳しい)

そのニュースを見たが、皆、和やかに往時を回想して再会を喜び語り合っていた。もちろん日本人と共にだ。この人たちに比べ、この度の韓国の「徴用工」の韓国最高裁の「個人請求権は消滅せず」という判決とのギャップに驚くよりも、ああまたか・・・。という思いがよぎった。隣人には、良い隣人と、厄介な隣人がいることを改めて認識した。

「徴用工」というと、何か、嫌がる者を、首に縄をつけて無理やり連れてきて、奴隷のように働かせた。というイメージを持つ人(特に韓国の人たち)がいるかもしれないが、事実は全く違う。以下は、。「夕刊フジ」)からの引用である。

韓国国民が知らない「徴用工の真実」について、朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏が緊急寄稿した。まず、徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。(引用ここまで)

また、裁判に訴えた、元徴用工という韓国人四名は、調査では「徴用」されたのではなく、「募集」に応じた労働者であることが判明されている。「寅さん」の映画に出てくる、御前様の「ああ困った、困った」という顔が浮かんでくる。

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