十一月十一日(日)晴れ。
年の瀬が迫って来て、忘年会の予定を書き入れた、我が家のカレンダーの赤丸が増えてきた。多い年には、様々な人たちの忘年会や納会に二十件近く出席する。まあ、呼ばれている内が華と思って出かける。またどうせお金を使うのならば、仲間の顔を見ながら一献傾けるのは、楽しいことだ。
来月の十四日は、いわゆる忠臣蔵の「志士討ち入りの日」だ。一説によると、大石内蔵助側の襲撃組、四十七人には、一人も死者がいなかった。反対に、吉良側は、約三倍の人数がいたにもかからわらず、吉良の首を取られたほかに、十六人もの死者が出た。その原因として、前夜吉良邸では忘年会が行われ、したたか飲んだ吉良の家来は、その寝込みを襲われたために、不覚を取ったと、本で読んだことがある。
元楯の会の会員で、若くして亡くなられた阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」というものがある。歳と共に「酒の過失」は少なくなった。それは分別がついたわけではなく、単に「過失」をするまでに眠くなって、それ以上飲めなくなったからである。一昔前までは、酒の過ちは、武勇伝として語られることもあったが、今はそんな時代ではない。単に、だらしない人として、友達が遠ざかる。
そういう私も、酔って帰宅すると、子供たちから「また飲んでるの」。「バカ、股で酒が飲めるか」。「何処で飲んだの」、「口だよ」。などと、開き直っていたが、今では、ひたすら平身低頭するのみである。
年の瀬が迫って来て、忘年会の予定を書き入れた、我が家のカレンダーの赤丸が増えてきた。多い年には、様々な人たちの忘年会や納会に二十件近く出席する。まあ、呼ばれている内が華と思って出かける。またどうせお金を使うのならば、仲間の顔を見ながら一献傾けるのは、楽しいことだ。
来月の十四日は、いわゆる忠臣蔵の「志士討ち入りの日」だ。一説によると、大石内蔵助側の襲撃組、四十七人には、一人も死者がいなかった。反対に、吉良側は、約三倍の人数がいたにもかからわらず、吉良の首を取られたほかに、十六人もの死者が出た。その原因として、前夜吉良邸では忘年会が行われ、したたか飲んだ吉良の家来は、その寝込みを襲われたために、不覚を取ったと、本で読んだことがある。
元楯の会の会員で、若くして亡くなられた阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」というものがある。歳と共に「酒の過失」は少なくなった。それは分別がついたわけではなく、単に「過失」をするまでに眠くなって、それ以上飲めなくなったからである。一昔前までは、酒の過ちは、武勇伝として語られることもあったが、今はそんな時代ではない。単に、だらしない人として、友達が遠ざかる。
そういう私も、酔って帰宅すると、子供たちから「また飲んでるの」。「バカ、股で酒が飲めるか」。「何処で飲んだの」、「口だよ」。などと、開き直っていたが、今では、ひたすら平身低頭するのみである。