十一月十五日(木)晴れ。
まだ衣替えをしていないので、冬物が無い。やろう、やろうと思ってはいるのだが、納戸の片付けが面倒なので、しばらくはやせ我慢しなければ。
ロシアとの北方領土の返還交渉が動き出したと新聞にあった。つまり歯舞群島と色丹島の二等の返還を優先してロシアとの平和条約を締結する。と言うものらしい。この問題で久しぶりに鈴木宗男がテレビで語っていたが、鈴木は、この二島返還にプラスして択捉島国後島の旧島民の自由往来を言っていた。交渉のことは、良く分からないが、民族派として北方領土の返還とは、南樺太及び全千島列島の返還が原理原則である。
終戦時のソ連(現ロシア)の蛮行、すなわち領土を奪われただけではなく、虐殺された三十万余同胞と酷寒不毛のシベリアへ連れ去られた六十万余抑留犠牲者のことを私たちは決して忘れてはならない。古い同志である永尾隆美さんがフェイスブックで、「北方領土の返還とはどういう意味か」と言うことを分かりやすく書いています。是非、寄ってみて下さい。
吉村昭の小説に『ポースマツの旗』がある。副題に『外相・小村寿太郎』とあるように、小村寿太郎を中心として、日露戦争後のポーツマス条約締結までの交渉を描いている。勝った戦争なのに、国家間の「交渉」の難しさと言うものが良く描かれている。安倍総理は、まさか個人の「名誉欲」のために北方領土交渉に譲歩するようなことはないだろうが、せめて小村寿太郎の苦悩と言うものを思い返してもらいたいものだ。交渉には関係ないが、とても感動するエピソードがある。それは、
ポーツマスでの日露戦争講和会議のため米国入りした外相、小村寿太郎の一行はシアトルから汽車で米大陸を横断した。途中、山林地帯の駅に止まると、線路ぎわに日本人らしい男五人が立っている。手には急ごしらえの日の丸を持っていた。展望台に出た小村が尋ねると十数キロ離れた森林で働く日本人労働者だった。国運をかけた交渉に赴く小村を見送りたいと夜通し歩いてきたらしい。小村が「よく来てくれた」と声をかけると男たちの頬を熱涙が伝い、小村も目に涙を浮かべたという。外相秘書官だった本多熊太郎が著書などに書き残したエピソードで、明治三十八年七月のことである。
(「産経抄」2011・5・25)
夜は、友人が酔狂亭に来訪。「そごう」で誂えた刺身の盛り合わせを肴に、「秋の夜の酒は静かに飲む」ことを忘れて、口角飛泡の一献会。
まだ衣替えをしていないので、冬物が無い。やろう、やろうと思ってはいるのだが、納戸の片付けが面倒なので、しばらくはやせ我慢しなければ。
ロシアとの北方領土の返還交渉が動き出したと新聞にあった。つまり歯舞群島と色丹島の二等の返還を優先してロシアとの平和条約を締結する。と言うものらしい。この問題で久しぶりに鈴木宗男がテレビで語っていたが、鈴木は、この二島返還にプラスして択捉島国後島の旧島民の自由往来を言っていた。交渉のことは、良く分からないが、民族派として北方領土の返還とは、南樺太及び全千島列島の返還が原理原則である。
終戦時のソ連(現ロシア)の蛮行、すなわち領土を奪われただけではなく、虐殺された三十万余同胞と酷寒不毛のシベリアへ連れ去られた六十万余抑留犠牲者のことを私たちは決して忘れてはならない。古い同志である永尾隆美さんがフェイスブックで、「北方領土の返還とはどういう意味か」と言うことを分かりやすく書いています。是非、寄ってみて下さい。
吉村昭の小説に『ポースマツの旗』がある。副題に『外相・小村寿太郎』とあるように、小村寿太郎を中心として、日露戦争後のポーツマス条約締結までの交渉を描いている。勝った戦争なのに、国家間の「交渉」の難しさと言うものが良く描かれている。安倍総理は、まさか個人の「名誉欲」のために北方領土交渉に譲歩するようなことはないだろうが、せめて小村寿太郎の苦悩と言うものを思い返してもらいたいものだ。交渉には関係ないが、とても感動するエピソードがある。それは、
ポーツマスでの日露戦争講和会議のため米国入りした外相、小村寿太郎の一行はシアトルから汽車で米大陸を横断した。途中、山林地帯の駅に止まると、線路ぎわに日本人らしい男五人が立っている。手には急ごしらえの日の丸を持っていた。展望台に出た小村が尋ねると十数キロ離れた森林で働く日本人労働者だった。国運をかけた交渉に赴く小村を見送りたいと夜通し歩いてきたらしい。小村が「よく来てくれた」と声をかけると男たちの頬を熱涙が伝い、小村も目に涙を浮かべたという。外相秘書官だった本多熊太郎が著書などに書き残したエピソードで、明治三十八年七月のことである。
(「産経抄」2011・5・25)
夜は、友人が酔狂亭に来訪。「そごう」で誂えた刺身の盛り合わせを肴に、「秋の夜の酒は静かに飲む」ことを忘れて、口角飛泡の一献会。