白雲去来

蜷川正大の日々是口実

鮎よりも鰻だな。

2018-11-25 08:35:40 | 日記
十一月十七日(土)晴れ。

川魚がどうも苦手である。鮎も、出されれば食するが、自分からは食べに行くことはない。野村先生がお元気な時に京都に行くことがあり、南禅寺に近い有名な料亭で、鮎が出た。野村先生は、食が細く、出てくる料理にほとんど手を付けない。大体私が先生の分まで食べることになるが、「絶品」と言われているこのお店の鮎よりも、田舎者ゆえ、鰻か明石の鯛のお造りの方が良かったと、当時の日記に書いてある。

今日は、「やまと」にて仲良しさんたちと冬だけ限定で出される「鶏鍋」を囲んだ。私共夫婦を入れて六人である。また好き嫌いの話で恐縮だが、魚貝や豚肉、鶏肉など一緒に入った、いわゆる「寄せ鍋」が好きではない。鶏なら鶏、豚なら豚だけの鍋が良い。もちろん豆腐、油揚げ、野菜(我が家はキャベツ)、ごぼうと人参の千切り、竹輪を入れる。スープは「昆布出汁」。

床の間に月見草のつぼみが活けてあった。生麩と野菜の取り合せ、小ぶりの鮎ずし、胡麻豆腐、そんな物を肴に、鮎の焼けて来るまでちびちび盃を傾けていると、そのつぼみが一つ、音も無く開く。聞えるのは、井戸水の生け簀で魚のはねる音だけ、「夜道して行く人の声」もせず、静かなものだ。
「どうぞゆっくり召し上っとくれやすや。ゆっくりしておいやすと、月見草か又咲きますえ」。梅雨が上れば、樹間に蛍の飛ぶのも見えるそうだし、京の闇夜らしい佳き風情があった。言われる通りゆっくり、二度塩焼のお代りをし、月見草のぽっかり開くのも三遍か四遍か見て、満ち足りた気分で勘定書を求めたら、想像した値段と大分ちがっていた。前回、自分で払っていないのだ。頼んだタクシーが来て、連れと二人乗りこんだが、京都の運転手は京に関する他所者の陰口を知り合いの店へ伝えそうな気がする。車内で私は声をひそめた。「つぼみが一つ花開くごとに、ざっと二万円だぜ。一輪二万円の宵待草は高過ぎるだろ、おい」鮎にふさわしい閑寂とした座敷で、本当に佳い鮎を腰落ち着けてたっぷり食べたければ、此の値段は止むを得ないのかも知れないか、それきり行っていない。これは阿川弘之さんの書いた『食味風々録』(中公文庫)の一節。

私のような田舎者には、こういった風情は似合わない。「やまと」で、良い人たちとの酒に酔った。いい一日だった。

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