白雲去来

蜷川正大の日々是口実

先輩の喜寿のお祝いへ。

2018-11-05 08:11:45 | 日記
十月二十八日(日)晴れ。

良い天気である。天気の良い朝は、雨戸を閉めていても気配で分かる。根っからの貧乏性なので、起きて、単に天気が良いと言うことだけで嬉しくなる。そんな気持ちの良い朝の食事は、サバの文化干し、納豆、ジャガイモの味噌汁。

食後は、贅沢に「モンカフェ」を一杯。のんびりと新聞を読み、その後はメールやフェイスブックをチェック。昼過ぎに事務所に行き、すべての窓を開け放ち、大量の在庫本で埃っぽい空気を入れ替えた。

夕方、国民協議会の清水政男先生の喜寿のお祝いが新宿のレストランにて行われ、藤巻強、大熊雄次の両氏と共に出席。会場は、在京の民族派の諸先輩、同志諸兄で満員。指名を受けて祝辞を述べさせて頂いた。終了後に、新宿駅近くの「広州ワンタン」へ。軽く飲んでから帰宅。

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ネットで購入した雑誌。

2018-11-05 07:08:52 | 日記
十月二十七日(土)曇り。

珍しくネットで古書を購入した。昭和三十一年三月発行の『東洋評論』という雑誌。特集は、「赤松克麿追悼号」である。「赤松 克麿(あかまつ かつまろ、1894年(明治27年)12月4日 - 1955年(昭和30年)12月13日)は、大正・昭和時代の社会主義運動家で、その後左翼活動家・国家社会主義運動家に転じた。衆議院議員」。とはウイキの資料である。

国家社会主義運動家と言えば、すぐに名前が挙がるのは、北一輝、津久井龍雄、高畠素之に赤松克麿だろうか。国家社会主義とは、ブリタニカ国際大百科事典によれば、「資本主義社会の矛盾を国家の手によって解決しようとする思想と運動。階級闘争によって社会問題を解決するという思想を否定し,国家の干渉によって社会主義的要求の一部を実現しようとするもので,その背後には,社会と個人を有機的に結合しているのは国家であるという国家中心主義の思想がある。マルクス=レーニン主義が国家の死滅を説いたのに対し,国家の統制機能は人類の社会生活が続くかぎり永遠であるとした。19世紀末のドイツで発展し,ビスマルクの社会政策などに現れ,またナチズムもこの思想を極端化したもの。日本では北一輝,高畠素之らが代表的思想家である」。

とまあ、アホな私には、良く分からん思想ではあるが、『大右翼史』を著した荒原朴水先生によれば、「国家社会主義に関わらず、社会主義には、〇〇社会主義と称する理論がいくつもある。しかし、真ん中に一本線を引いて、右か左かと言えば、左の範疇に入る」と聞いたことがある。それは置いておいて、その「追悼号」に原稿を寄せている方々には、中野正剛の研究で知られている、猪俣敬太郎、労農運動の先駆の平野力三、宮崎滔天の子息で柳原白蓮との恋で有名な宮崎龍介、そして津久井龍雄といった人たちに加えて、野村先生が私淑した「新勢力社」の毛呂清輝の名前があり、今の時代では、極めて貴重な資料であると思った次第である。これからゆっくり読つもり。

朝食後は、群青忌の後片付け。事務所は、未だに足の踏み場もない。夜は、焼き鳥、とーふのステーキ、大根サラダを肴に酔狂亭で月下独酌。お供は「黒霧島」。

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