白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あるべきものが、六つもない人がいた。

2019-10-02 14:06:11 | 日記
九月二十五日(水)晴れ。

冷ご飯が沢山冷蔵庫にあったので朝から焼き飯、早い話がチャーハンである。それに「ウェイパー」を使った白菜のスープ。とりあえずは三流中華料理屋のようになった。昼は、上の子供が山梨に行った折に買ってきたカップ麺の「吉田のうどん」。夜は、海のない所に住んでいるにも関わらず、食通の友人から送って頂いた「マグロ」の刺身と玉ねぎと豚肉炒め。お供は、カロリーゼロの缶ビール一本と「黒霧島」。

久しぶりの本マグロである。慌ててスーパーに行って「本わさび」を探したが、三軒捜してやっとあった。ふふふ、むむむ、ひゃひゃひゃと声にならぬ声を上げて、貧乏性なので余り厚切りにせずに恐る恐る食べた。嫌なことがあっても、このマグロの一口で気持ちはハイになる。

「人を恋うる歌」の中に、「妻子を忘れ家を捨て 義の為恥を忍ぶとや 」というくだりがある。同じ意味ではないが、高山彦九郎、蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」と言われた林 子平の歌にこういうものがある。

 家もなく妻なく子なく版木なく金もなければ死にたくもなし

林はロシアの攻撃から国を守るために国防の必須なるを説いた警世の書『海国兵談』を書いた。その書は幕府によって異端の書とされて版木(印刷するために字を彫った板)没収され、仙台の家に禁錮幽閉されてしまう。幽閉中に多くの和歌を作り、自筆本『籠居百首』を残してその表紙に「六無斉遺詠」と記した。前述の和歌は、その六つの「無い」を詠んだものだ。(「辞世の歌」)より。幕末の志士の歌で「死にたくもない」と詠んだ歌は林以外に知らない。『辞世の歌』を書いた松村雄二氏は、「余程残念だったろう」と書いている。

金がないぐらいで、すぐオロオロしていては林 子平に申し訳ないか。

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道の兄と慕った阿部勉さんの辞世。

2019-10-02 10:43:13 | 日記
九月二十四日(火)曇り。

昼近くに、下の子供と自宅近くの「ビツクボーイ」というファミレスにて朝食を兼ねた昼食。目玉焼きのついたハンバーグ、サラダバー付き。カレーも無料なのだがカロリーを考えてパス。そのまま子供を駅まで送る。授業は二時からとのこと。夜は、友人と、やはり近くの中学の先輩の経営する「浜一寿司」にて一献会。

森田忠明さんが主宰していた櫻風亭歌會が、中心となって平成十年に出版した合同歌集『國風(くにぶり)』という本の中に、多くの民族派諸兄に交じって、私の道の兄であった元楯の会の阿部勉さんが短歌を投稿している。その歌集の出版された翌年に阿部さんは五十三歳と言う若さで亡くなられた。歌集に投稿した歌が何か阿部さんの辞世のようになり、阿部さんを慕う人たちの間に膾炙されている。

「春も酒」と題した八首はいかにも阿部さんらしいニヒルで酒を愛し、また浪人の風情に溢れた秀逸なものばかりである。その八首の最後の歌が、皆が勝手に阿部さんの「辞世」とした歌である。

 われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ

蛇足ながら「栄川」は、福島で百五十年も続く酒蔵で作られている銘酒である。秋田生まれの阿部さんがなぜ福島の酒なのか。その真意の程は分からないが、一時期阿部さんは福島にて『福島ジャーナル』というタウン誌の編集長をやっていた。阿部さんの死後、友人に阿部さんが愛した郡山のBerや寿司屋に連れて行って貰ったが、それぞれ通好みのお店ばかりで、阿部さんらしいと思ったことを良く覚えている。

最近購入した『辞世の歌』(松村雄二著・笠間書院)の中に歌川広重の辞世が掲載されており、読んだ瞬間、ニヤリとなった。広重の辞世は、

 我死なば焼くな埋めるな野にすてて飢えたる犬の腹をこやせよ

と言うものである。さすがに安倍さんは「犬に食われる」は遠慮して、「酒に浸して土に埋めよ」とシャレたのか知れない。来月、十月の十一日は、阿部さんのご命日である。お元気ならば七十三歳。ゴールデン街を歩くと、ふと阿部さんが、ガルガンチュア辺りからふらっと出てくるような気がしてならない。

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