九月二十八日(土)晴れ。
憂国の志士(夕方になると酒を飲みたくなるので、本当は「夕刻」の志士です)を以て任ずるものが、食べ物の話ばかりで申し訳ないが、私が子供の頃に良く食べていたのが、ハムもどきの「プレスハム」。これまで社友から様々なプレスハムを教えて頂いたが、どうも昔のの物とは違う。まっそれでも美味しいので余り気にしなかったのだが、先日、スーパーで、昔の味にほとんど近いものを見つけた。「雲仙高原」の「プレスハムスライス」と言うものだ。
これを焼かずにそのままソースをかけて食べる。おおっ昔が戻ってきた。目を閉じれば、子供の頃に過ごしたトタン屋根の安アパート、街頭の裸電球、七輪を使って煮炊きしたり、洗濯板を使って洗濯する母の背中・・・。肉と言えば、このプレスハムか魚ニソだった時代。周りは貧しかったが、別段不自由とも恥ずかしいとも、ひもじさも感じたことはなかった。
「もはや戦後ではない」という言葉が流行ったのは、昭和三十一年(一九五六)年度の『経済白書』の序文に書かれた一節。『ブリタニカ百科事典』によると、「戦後復興の終了を宣言した象徴的な言葉として流行語にもなった。当時の日本は戦後復興の時期であり,日本経済は,朝鮮特需の影響もあり,戦前水準に向かって順調に回復していった。」私は五歳であったが、小学校の高学年になると、舗装道路が増え、ビルが新しくなるなど、徐々に町がきれいになって行くことを実感した。
小学校のあった三春台と言う高台から、伊勢佐木町方面を見ると、アドバルーンが沢山上がっているのを覚えている。考えてみれば、プレスハムを食べるだけで、これほどのことが甦って来るのだから、むむむ恐るべし。夜は、「まさし」の餃子、プレスハム、ナスと豚肉のオイスターソース炒めで月下独酌。
憂国の志士(夕方になると酒を飲みたくなるので、本当は「夕刻」の志士です)を以て任ずるものが、食べ物の話ばかりで申し訳ないが、私が子供の頃に良く食べていたのが、ハムもどきの「プレスハム」。これまで社友から様々なプレスハムを教えて頂いたが、どうも昔のの物とは違う。まっそれでも美味しいので余り気にしなかったのだが、先日、スーパーで、昔の味にほとんど近いものを見つけた。「雲仙高原」の「プレスハムスライス」と言うものだ。
これを焼かずにそのままソースをかけて食べる。おおっ昔が戻ってきた。目を閉じれば、子供の頃に過ごしたトタン屋根の安アパート、街頭の裸電球、七輪を使って煮炊きしたり、洗濯板を使って洗濯する母の背中・・・。肉と言えば、このプレスハムか魚ニソだった時代。周りは貧しかったが、別段不自由とも恥ずかしいとも、ひもじさも感じたことはなかった。
「もはや戦後ではない」という言葉が流行ったのは、昭和三十一年(一九五六)年度の『経済白書』の序文に書かれた一節。『ブリタニカ百科事典』によると、「戦後復興の終了を宣言した象徴的な言葉として流行語にもなった。当時の日本は戦後復興の時期であり,日本経済は,朝鮮特需の影響もあり,戦前水準に向かって順調に回復していった。」私は五歳であったが、小学校の高学年になると、舗装道路が増え、ビルが新しくなるなど、徐々に町がきれいになって行くことを実感した。
小学校のあった三春台と言う高台から、伊勢佐木町方面を見ると、アドバルーンが沢山上がっているのを覚えている。考えてみれば、プレスハムを食べるだけで、これほどのことが甦って来るのだから、むむむ恐るべし。夜は、「まさし」の餃子、プレスハム、ナスと豚肉のオイスターソース炒めで月下独酌。