12月12日(月)晴れ。
朝食は、塩鮭、焼きのり、三浦大根の味噌汁。昼は、中華ちまき、水餃子。夜は、鮭のカマ、鶏肉とナス炒め、清風楼の焼売。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
朝食後から、原稿の校正、お歳暮のお礼状など、千手観音のように忙しかった。亡くなられた大磯の小早川貞夫先生の形見分けで頂いたのが、かつて白井為雄先生が発行していた機関誌『青年戦線』。その昭和45年9月号に、児玉誉士夫先生が佐世保で行った講演録が掲載されている。児玉先生と言えば、晩年、単に政財界の「黒幕」といったダーティーなイメージで語られることが多いのは、非常に残念である。確かに、第三者的に見れば、「黒幕」的な要素もあったかもしれない。しかし、青年時代から維新運動に挺身し、戦時中は海軍の特務機関として、お国に尽くしたこともまた事実である。
野村先生が、児玉先生の盟友であった河野一郎の新築の家を全焼させた事件で、囹圄の身にある時に、T川氏を通じて、何度も差し入れをして頂いたことがある。と野村先生から聞いたことがある。児玉先生の佐世保での講演の内容は、自身が作詞した『民族の歌』の解説で、これがとても良い。児玉先生の生き様を知るうえで、非常に貴重な内容である。ちなみに『民族の歌』は、青年思想研究会の会歌ともなっている。青年思想研究会の緒方孝明議長にご了承を頂き、弊社の機関誌『燃えよ祖国』に掲載させて頂く。
『民族の歌』はYouTubeなどで聴くことが出来るので、是非一度聴いてみて下さい。