白雲去来

蜷川正大の日々是口実

猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを。

2022-12-23 11:27:57 | 日記

12月22日(木)雨のち曇。

食欲がなく、朝食を抜いた。昼は、家族のお弁当の残りの牛丼、シジミの味噌汁。デザートはリンゴ。夜は、古い友人で千葉在住の周本昌山さんに招かれて、豪華な「ふぐ」を囲んでの一献会。気心の知れた人達ばかりと言うこともあって、和気藹々、忘年の酒席となった。

中国は北宋の政治家・詩人の韓維という人の詩に、同窓、同期会を詠んだものがある。

同榜(どうぼう) 同僚 同里の客

班毛(はんもう) 素髪(そはつ) 華筵(かえん)に入る

三盃 耳熱して 歌声発す

猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを

「同榜 」とは、科挙の合格発表の掲示板。したがって、「同榜 」は、同年に進士(科挙)の試験に合格したものを言う。そこに集まった面々のある者は「班毛」、ごま塩頭。またある者は「素髪」、真っ白な毛。皆さん老境に入っている。「華筵」は、華やかな宴会の席。歳のせいゆえ、三杯の酒で酒のせいで耳がほてり、もう歌声がおこる。最後の「猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを」の「歓情」は、喜びはしゃぐ気持ち。皆のはしゃぎようは、まるで若者、まだまだ若さを失っていない。それが、嬉しいのだ。ほぼ千年も前の同期会の詩だが、現代とほとんど変わらない。(『漢詩一日一首』一海知義著・平凡社)より。

世界一難関と言われた「科挙」に向き合うなどほとんど不可能だが、周本昌山さんのお世話で集まった人たちは、揃って国立大学、大学院を出た人ばかりだ。と言っても文科省ではなく法務省の方ですが。


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年の瀬の感慨。

2022-12-23 10:15:43 | 日記

12月21日(水)曇り。

朝食は、家族のお弁当の残りの半分残ったハンバーグ、マカサラ、ワンタンスープ、デザートにリンゴ。昼は、トースト二枚。伊豆高原の駅で買った「ニューサマー・オレンジ」のジャムをつけた。お供は、「モンカフェ」のコーヒー。夜は、手羽餃子、麻婆ナス、ジャガイモと鶏肉の煮物。お供は、「赤魔王」。酔狂亭にて独酌。

朝から忙しい一日だった。まず朝一でかかりつけの医者に行き、常備薬と万が一の時の解熱剤、カロナールを貰い、正月明けに病院を紹介して頂き、内臓のMRIを予約。その後に、事務所に行き郵便物の確認。車のガソリンを入れてから、こまごました買い物。自宅近くの畳屋に行き、畳の張替えをお願いした。畳を張り替えるのは何年ぶりの事だろう。新しい時のいぐさの香りが好きだ。

今年も残すところ10日余り。幾つになっても年の瀬の感慨というものにさほど変化はない。歌集『乳房喪失』で知られている中條ふみ子は、死の一年前の昭和28年、三十一歳の時に乳がんのために左乳房を摘出、その過程や結果を歌集『乳房喪失』の中に大胆に歌った。以後、死に向かって進む日々の生を見つめ続け、その呼吸を透徹した諦念のごとき表現の中にうたった。その中の一首に「灯(ひ)を消してしのびやかに隣にくるものを快楽(けらく)の如くに今は狎(な)らしつ」。意は「灯りもつれずにこそりと隣に忍び寄ってくるもの・・・死の影を、私は今ではあたかも快楽ように狎れ親しんでいます」(『辞世の歌』松村雄二著・笠間書院)。恥ずかしながら、とても真似のできることではない。

十勝生まれの中條かな子の波乱万丈な人生を描いたのが、渡辺淳一の『冬の花火』。読んだのは、随分前の事で、北海道時代の事だ。寒さに震えながら、読書三昧の修行をしたことが、とても懐かしい。

 

 

 


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