12月8日(木)晴れ。開戦記念の日。
朝食は、千葉は「ぴん太郎」のサバのみそ焼き、茶碗ラーメン。昼は、食パン一枚。夜は、近くの魚屋で買ったマグロの刺身、羽床総本店のカジキマグロのみそ漬け、湘南餃子。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
暖かい静かな開戦日。とは宇垣纏の日記『戦藻録』の開戦一年目の書き出しである。「待ちに待ったその日はついに来た。午前三時というのに自然と目は覚め、起き出でて一服していてると、当直でかつ航空掛かりの佐々木参謀が大急ぎで飛び込んできて、『三時十九分(ト)連送です』」。「ト連送」とは、「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲に成功セリ)の暗号電文である。
起や忽ち撃滅の かちどき挙がる太平洋 東亜侵略百年の野望をここに覆す いま決戦の時来る 。(大東亜決戦の歌)
今日は、大東亜戦争の開戦記念日である。戦後生まれの私たちは、学校教育の中で先の大戦は「侵略戦争」であるという米国の戦勝国史観を押し付けられて育った。困ったことに、今でもそう信じている人が多い。確かに、戦争であるから双方に侵略的な要素もあったかもしれない。しかし、そこだけ見ていたら、正しい歴史の判断は下せない。
野村先生は、自決に臨んで、同志らに宛てた「檄文」とも言うべき文章『天の怒りか、地の声か』の末尾をこういう言葉で締めくくっている。「ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」と。※ハワイ真珠湾攻撃隊より、機動部隊の旗艦、空母赤城に届いた攻撃命令と、奇襲成功を知らせる無電のコピー。私が頂いた物だがコピーでも非常に貴重なものです。電報にある「GF」とは「連合艦隊」=「GF(Grand Fleet)」という略称。