4月30日(日)晴れ。
夜、咳が続いて中々眠れなかった。熱を測ったが36度、平熱で安心。朝食は、豚汁と錦糸町は「223」のキムチ。昼は抜いた。夜は、東京で友達と暮らしている下の子供が連休で帰って来たので、久しぶりに家族が揃って夕食。「シンシン」という肉、牛タン、エビのガーリック炒め、もやしのナムル、キムチ。喉の調子が悪いので、350ミリの缶ビール2本でやめた。
昼から、遅れている機関誌『燃えよ祖国』の283号の発送の準備。ドタバタしていて、横山孝平さんの連載を落としてしまった。反省しきりである。以下は、283号の私の「編集後記」。
日本のテロリストの原風景には、中国戦国時代末期の刺客、荊軻(けいか)にあると、何かの本で読んだことがある。荊軻は、燕(えん)の太子丹(たいしたん)の命を受けて秦に赴き、秦王政(後の始皇帝)を策略を用いて暗殺しようとした。荊軻の行為そのものよりも、易水(えきすい)のほとりでの送別の際に荊軻が詠んだとされる「易水送別」の詩に心を揺さぶられる人が多い。
風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。 壮士ひとたび去って復(ま)た還らず。
これは司馬遷(しばせん)の編んだ『史記』の中でも最も有名な場面とされている。倒そうとする相手への憎しみなどよりも、大義に殉ずる覚悟と悲壮感が後の世の人たちの感動を誘うのである。今回の岸田総理への襲撃事件の犯人にどんな思想信条と大義があるのだろうか。報道によれば逮捕以来黙秘しているという。良し悪しはともかく、一国の首相を襲撃したときに、その意義と意味を明らかにせずにいる青年の気持ちが理解できない。安倍元総理銃撃と今回の事件。我々にはそういった青年たちの怒りや哀しみを受け入れる存在ではなくなっているのだろうか。