白雲去来

蜷川正大の日々是口実

易水送別。

2023-05-07 10:19:32 | 日記

4月30日(日)晴れ。

夜、咳が続いて中々眠れなかった。熱を測ったが36度、平熱で安心。朝食は、豚汁と錦糸町は「223」のキムチ。昼は抜いた。夜は、東京で友達と暮らしている下の子供が連休で帰って来たので、久しぶりに家族が揃って夕食。「シンシン」という肉、牛タン、エビのガーリック炒め、もやしのナムル、キムチ。喉の調子が悪いので、350ミリの缶ビール2本でやめた。

昼から、遅れている機関誌『燃えよ祖国』の283号の発送の準備。ドタバタしていて、横山孝平さんの連載を落としてしまった。反省しきりである。以下は、283号の私の「編集後記」。

日本のテロリストの原風景には、中国戦国時代末期の刺客、荊軻(けいか)にあると、何かの本で読んだことがある。荊軻は、燕(えん)の太子丹(たいしたん)の命を受けて秦に赴き、秦王政(後の始皇帝)を策略を用いて暗殺しようとした。荊軻の行為そのものよりも、易水(えきすい)のほとりでの送別の際に荊軻が詠んだとされる「易水送別」の詩に心を揺さぶられる人が多い。

 風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。 壮士ひとたび去って復(ま)た還らず。

これは司馬遷(しばせん)の編んだ『史記』の中でも最も有名な場面とされている。倒そうとする相手への憎しみなどよりも、大義に殉ずる覚悟と悲壮感が後の世の人たちの感動を誘うのである。今回の岸田総理への襲撃事件の犯人にどんな思想信条と大義があるのだろうか。報道によれば逮捕以来黙秘しているという。良し悪しはともかく、一国の首相を襲撃したときに、その意義と意味を明らかにせずにいる青年の気持ちが理解できない。安倍元総理銃撃と今回の事件。我々にはそういった青年たちの怒りや哀しみを受け入れる存在ではなくなっているのだろうか。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽から帰宅。

2023-05-07 10:01:36 | 日記

4月29日(土)晴れ。昭和節。

昨夜、直会が始まったのが遅かったので、転戦し最後は、町中華でシャンペンと言う盟友たちのご乱行にお付き合いして、時計を見たら深夜の3時過ぎ。慌ててホテルに戻る。酔っていたので寝間着を着ずに寝てしまった。8時起床。昨日のフォーラムの会場が寒くて、ちょっと辛かった。加えて、酔って寝てしまったので喉が痛く、咳が連続して出る。これで熱でもあったら、帰れないところだった。

起床後に、昭和天皇を偲び東方遥拝。10時に雪田顕正さんに迎えに来て貰い、盟友のo氏と鈴木信行さんをピックアップして一路小樽へ。犬塚先輩は横山孝平さんの車で小樽に向かう。行く先は、小樽の祝津という所にある、民宿と食堂の「青塚食堂」。ここに初めて来たのは、平成2(1990)年の夏のことだから、もう33年も前のことだ。民宿と言うよりも新鮮な海鮮料理のお店としても有名で、今では予約を入れないと、入れないくらいに繁盛している。鈴木信行さんは初めてと言うことで、すぐそばにある鰊御殿を見学。犬塚先輩と一緒に来るのは20年ぶりくらいか。写真を撮って頂いたのは、札幌の雪田顕正さん。当然ながら写っていない。札幌で群青忌を行った際には、家族でここに泊まったこともある。

1時30分まで飲んで、千歳へ。飛行機はスムースに羽田着。若い頃ならば、羽田に着いたときに「安着祝い」で一杯。という所だが、さすがに犬塚さんもo氏も、もちろん私も体力の限界で、解散。帰宅した。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする