白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供たちに叱られたことがある。

2023-05-11 15:42:09 | 日記

5月3日(水)晴れ。

『十字路が見える』の本の帯に、こういう文章がある。「私は、貧乏なのである。しばしば私の家に遊びに来る孫たちに、いつも言われる。爺ちゃんは、勉強ばかりしていてはいけないよ。きちんと仕事をしなくちゃ駄目だよ。ぼくの家は、パパが毎日会社に行っているから、大丈夫なんだよ。爺ちゃんは、勉強ばかりして貧乏でかわいそうだ。家だって、ぼくんちは真っ白だけど、爺ちゃんちは古い。四歳と三歳の、年子の男の子である」(「貧乏爺ちゃんは今日も征く」)

私も、子供が小さい頃に、同じようなことを言われたことがあった。二人の子供が、真面目な顔をして私の前に来て「とーたん質問」。「およその家に行くと、お父さんがいなくて、お母さんがいるのに、どうして家は、毎日、お母さんが会社に行って、とーたんがお家にいるの。毎日、何をしているの」。と聞かれたことがあった。「とーたんだって仕事をしているよ」。「何のお仕事をしているの」。「本を書いたり、雑誌を作ったりしているんだよ」。「どんな本を書いているの。見せてよ」。うーんこれには困った。当時、連載させて頂いていたのは『実話ドキュメント』や『実話時報』といったいわゆる「実話系」の雑誌や保守、民族派関係の機関誌・紙などである。さすがに子供たちにそれらを見せるわけには行かず、「大きくなれば分かるから」とあいまいに答えたら。「毎日、家に居て、お酒ばかり飲んで、ちえちゃん(女房のことです)が可哀そう」と泣かれてしまった。

その頃か、筑摩書房の月刊誌「ちくま」に、当時の編集長のお世話で、「読書論」を三回ほど書かせて頂いた。私の原稿の載っている所をさりげなく開いて、テーブルの上に置いておいたら上の子供が、妹に「ほら、とーたんの名前が出ているよ。ちゃんと仕事をしてるんだね」。


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「十字路」よりも「裏道」が気になる。

2023-05-11 14:33:59 | 日記

5月2日(火)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、泊りに来ている下の子供と一緒に「カレーうどん」。夜は、子供たちと、ホットプレートで「お好み焼き」と「チヂミ」。個人的な意見だが、目玉焼きは、なぜかホットプレートで焼くと、ツルっとしてとても美味しい。不思議だ。

北方謙三の新刊『十字路が見える』(岩波書店)の四冊の内、一冊を買った。いや買って貰った。と言うのが正解である。上の子供と、中華街へランチを食べに行った帰りに伊勢佐木町の有隣堂に寄った。新聞の書評欄に、その本のことが掲載されていたので買おうかなと思ったが、一冊三千円もする。ためらって有隣堂の前のコーヒー店で子供を待っていたら、「買わなかったの?」と聞かれたので、「ちょっと高いからこの次にする」と答えたら、翌日に、買って持ってきてくれた。ありがたや。

確か『十字路が見える』はかつて『週刊新潮』で連載されていた。いつの間にか連載が終わってしまい、何かあったのかと思っていたら、業界のことは良く分からないが、連載をまとめた本は、新潮社からではなくて岩波書店から発売された。まあ読んで面白ければ、それで良しなのだが、業界も諸事情があるのだろうと、思った次第。むしろ「十字路」よりも「裏道」が見たい気もする。


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